|
ムーチャ・スエルテはスペイン語で『がんばって』という意味です!!
|
| ■ トップページに戻る |
| 前回の旅日記へ | 旅日記の目次へ | 次回の旅日記へ |
|
![]() MEXICO |
|
子供が働く中南米 1999年5月11日 |
全世界どこにいっても英語が通じるに違いないと 私は思っていた。 それというのも アメリカの滞在も1ヶ月が過ぎて ある程度英語に対して 耳が慣れてきたというせいもあるだろう。 たいした英語力もないくせに 自分は自分の英語力、 またコミュニケーション能力に 対して謎の強気になっていた。 しかし、その幻想は早くも メキシコの国境で木っ端微塵に粉砕された。 アメリカでは、 『このベトナム人は英語が話せないぞ』とか 『英語話せないくせにアメリカにくるな』 とか自分はアメリカ人に言われていた。 メキシコにはいったら、自分の片言の英語でもなんとかいけると思っていたが、 それは全くの見当違いだった 相手が何を言っているか。全くわからないし、 自分がいったことも相手に通じてない。 メキシコにくるつもりはあったが、 まさかスペイン語しか通じないとは思ってなかった。 全く言葉が分からず勝手がわからないので、 入国手続きにとまどったが、なんとかメキシコに入国することができた。 自分の乗ったバスはヒューストンから メキシコ北部の町モントレーまで直通のバスだったのだが、 私が入国手続きにとまだったため、20分くらいバスを待たせてしまった。 私はバスは自分を残して出発したものと思っていたが 律儀に私の入国の手続きを待っててくれていた。 自分はその時の入国の段階で、スペイン語を学ぶ必要性を感じた。 私は今までの短い23年間の人生の中で 全く言葉が通じない状況に出会ったのは初めてのことだった。 私は言葉が全く通じないことに、 あせりに似た恐怖を感じた。 しかし、私はスペイン語を学ぶ教材を何も持ち合わせていなかった。 アメリカであった旅行者の一人が メキシコの首都に日本人宿(下に解説あり) があるよ。とメキシコの首都にある日本人宿の住所を教えてくれたのを思い出した。 そこにいけば日本人がいるから、 誰かがスペイン語の教材を持っているはず!! それを借りて、しばらくはメキシコシティで言葉の勉強でもしようと 思った。 のんびり下っていこうと思ったが、 国境からいきなりメキシコシティーに行くことに決まった。 自分ながら、旅のプランは全くない。 自分の思うままに好きなように移動する。 これぞ旅だなと思ったりもした。 とにかくメキシコ入国の時点ですでに バックパッカーの名門のペンションアミーゴにいくことがきまった。 しかし、このときはペンション・アミーゴという名前さえも知らなかった。 モントレーについて、メキシコのお金が必要になった。 このときはメキシコのお金の名称も知らなかったし 現在一ドルに対して為替レートがいくらかも知らなかった バスステーションに両替所があったので。早速50ドルを両替した。 レートは1ドル9.2メキシコペソと書いてあった。 普通に計算すれば ( 9.2ペソ×50ドルで ) 460ペソだ。 しかし、430ペソしか渡されなかった。 『 これはどう考えても少ないぞ 』と思ったが、 手数料かなと勝手に考えてその場を去った。 後日談だが、別に両替に手数料はいらない。だまされたのだ。 その頃の自分は右も左もわからない旅行者1年生だった。 メキシコとペルーはお釣りをちょろまかすやつが非常に多い。 メキシコはなかなか人がひねくれている国で タクシーの運転手などははじめに値段の交渉をしてから タクシーに乗らないと間違いないほど高い値段を言ってくる。 どのようにこのような人の心象を悪くしてまでも ちょっとしたお金を儲けようと国民性が作られたのか 疑問に感じるところである。 メキシコシティーに向かうと決めたものの、 ニューオーリンズから宿に泊まらず このメキシコのモントレーまで来たので 肉体的には疲れを感じていた。 そのときはアメリカ大陸の広大さのためか距離の感覚というのを 自分はまったく持ち合わせていなかったが、 ニューオーリンズからモントレーまでは 1000kmほどの道のりがあるのだろうか。 私はもう日も暮れてきたし、 今日は宿に泊まって 明日の朝のバスでメキシコシティーに向かうことにした。 宿を探そうとバスターミナルにでたものの モントレーの町のことなど全く知らなかった。 また今でも全く知らない。 ターミナルを出てふらふらと歩き始めた。 私がガイドブックも持たない旅をのんびりしていたのも やはり、持ち物が着替えだけ入ったボストンバックという 友達の家に遊びに行く程度の荷物しか 持っていなかったらできたことだろう。 がらがらのボストンバック一つでは 誰も旅行者とは思わないだろうし、 荷物が軽いから移動は本当に楽だった。 ターミナルをでて方角も分からないまま とにかく歩き出した。 メキシコらしい、コンクリートで 作られている簡単な住居が並んでいた。 そのときの私のメキシコのイメージは サボテンとタコスとドンタコスのコマーシャルにでていた 親父で、具体的なイメージというものを全く持ち合わせていなかった。 町を歩きながら、カウボーイやマリアッチがかぶっているような 日よけが大きい帽子をかぶり、鼻の下にちょびひげを 生やす親父を見ては、 「 ドン・タコ〜ス 」 とかわけの分からないことをくちずさんで 喜んでいた。 しばらく歩くて宿のようなものを発見した。 早速宿に入っていって 親父と交渉をはじめた。 受付には一部屋110ペソと書かれていた。 私は『 ディスカウント 』 というのがもう癖になっていて ここでもすでに使っていた。 親父は『 オッケー 』 といって 『 ナインティーファイブ 』 と言ってきた。 まあ、このくらいの値段でいいかと早速部屋に 入ろうとしたが、まだ部屋が空いていないというのだ。 部屋が空くのには約1時間かかるということだった。 『 ワン・アウワー』 と親父は叫んでいた。 私はこのときこの1時間というのを 日本人が使う1時間という感覚で受け取っていた。 日本人であと1時間くらいといえば、 1時間以内を意味するが、 ラテンの1時間かかるというのは いつまで経ってもあかないくらいの 感覚でとらえていいのではないかと今では思っている(笑) とにかく、私は少ししたら空くだろうと 楽観的にとらえて宿の外で待つことにした。 最近はなんだか運動不足だな〜と 思い、日本から持ってきたなわとびをはじめた。 メキシコの宿の前で二重跳びをしている日本人の男 かなり怪しい(笑) とにかく宿に着いたのだから 軽く汗を流して、シャワーを浴びて 寝ようと思っていたのだ。 それというのも昨日の夜はヌエバ・ラレードの バスターミナルに着いたものの メキシコ方面のバスが来るのに7,8時間バスターミナルで うとうと眠りながら待っていたので ほとんど眠っていなかったのだ。 なわとびを何度もして、いい汗をかいたが 親父はなかなか宿の外に姿を現さなかった。 もう1時間はとっくに過ぎているのに あの親父は何をしているんだ。 と私は親父のところに文句をいいにいった。 親父は今度は「 ファイブ・ミニッツ 」 とか適当なことを言っていた。 喉が乾いていたので ジュースを飲みに行くことにして 時間をつぶすことにした。 角の雑貨屋でコカコーラを指差して コカ・コーラを買って飲んだ。 飲み終わったあと 「 きく〜 」 とかちょっとつやっぽく自然につぶやいていた。 やはり炭酸飲料は気分を爽快にさせる何かを持っている。 宿の戻り、 親父に「 My Room ,OK? 」 と片言の英語で質問すると 「 OK 」 という、日が出ているときにやってきたのに このときにはすでに夕方も過ぎて 夜になっていた。 メキシコ人のいう1時間は長いのだなと このときからうすうす感じるようにはなっていた。 しかし、ここでハプニングが起きた。 親父が 「 マニー 」 と言ってきたのだ。 ああ。そうか。 前金制で金をはじめに払わなくてはならないのだなと 約束の95ペソを渡すと 「 ノー 」 「 ノー 」 とか言っている。 「 はっ? 」とあごを突き出して 目が細めると。 親父は 「ワンハンドレッド・テン 」 「 モア・フィフティー 」 と言っているのだ。 その言葉をきいた瞬間に 私の体と頭は急速沸騰 殺すぞお前何様のつもりだといった 沸点まで温度が上がっていた。 こいつ人を待たせておいて 金まで高くとろうとはどういう神経をしているのだ。 と私は彼の人格を疑った。 「 ワーイ 」 と私は彼に質問すると 彼は 「 ディス ルーム 、スペシャル 」 とかいっているのだ。 親父に告ぐ、このスペシャルルームというのは 俺が着いたときにこの部屋に入ることになると いって、95ペソで約束した部屋ではないか。 男らしくいったことは守れ!! お前には人間としてのプライドがないのか。 プライドなきものは生きる資格はない。 私は2時間近く待った挙句、親父の予想外の行動に直面して 気分を悪くした。 体は縄跳びをして汗をかいて また一段と臭くなったけど このまま夜行でメキシコシティーに向かおう とすぐに予定を変更した。 私はすぐに宿のドアを開けて ターミナルに向かった。 後ろから親父が 「 ソーリー 」 「 ナインティーファイブ!! 」 「 ナインティーファイブ!! 」 と叫んでいた。 今となってはアイムソーリーひげソーリーお前はもう死んでいるアベシ。 親父に一言だけ忠告しておこう 「 対人関係において強欲な人間は長期的には損をするぞ 」 と。 15ペソなぞ200円以下でどうでもいいような 金額であるが、私は感情的な人間であるため 合理的な行動をとらないことが多い。 冷静に考えれば、体は徹夜と ヒューストンからのバスでの長旅で 疲れていたので200円くらいの料金の差で あるなら疲れを癒すために少しくらい料金が高くても泊まったほうがいいのだが、 親父の人間性に対する怒りが 私に合理的な行動をとらせなかった。 私はバスターミナルに行く前に何か食料を買っておこうと ターミナル前のスーパーに入った。 そこで私は見慣れない光景というか 初めて見る光景に直面した。 なんと子供たちが働いているのだ。 時間はもう夜の8時。 どこからどうみても小学生!! という子供たちがレジで買い物を終えた 客の商品をビニール袋につめているのだ。 日本からきた自分にとって子供たちが働いているというのは 信じられない光景だった。 子供は学校行って、塾行って眼鏡をかけるようになるというのが 私の子供の現実のイメージだったからだ。 この光景は絶対おかしい。 幼児虐待だ とそのときはカルチャーショックを受けた。 今では日本の受験勉強のほうが 体にも精神にもよっぽど悪いかもしれないと 冷静に考えている。 メキシコに入り、大きなカルチャーショックを二つ受けた。 メキシコでは 英語が通じない 子供が働いている この2つは日本では全く考えられないことだったが 現実のことである。 私のラテンの一日目はメキシコで このような2つのカルチャーショックを受けてはじまった。 続く!!
|
| 用語解説 | 日本人宿 | 元の場所に戻る |
|
日本人専用にやっているペンション・ホテルのこと。 メキシコにはメキシコの首都・メキシコシティーにあるペンションアミーゴ。 カリブ海に面しているカンクンのペンション吉田が有名。 |
||
| 前回の旅日記へ | 旅日記の目次へ | 次回の旅日記へ |
| ガラパゴス海亀アンディーの旅の話しのコーナー | |
|
はじめまして。ガラパゴス海亀のアンディーです。 今日はひでのりに旅の話しをきく。インタビュアーとして駆りだれました。 まあ、ひでのりの話しをきいてもつまらないけど、まあ仕事だから旅の話しを尋ねようと思います。 |
|
英則。元気か。アンディーだ。お前の話しを聞けっていう仕事がはいったからきたよ。 今日はデートで忙しいから早く切り上げてくれよ。 |
|
アンディー。ありがとう。あ。みなさん。はじめまして。旅行者の英則です。 今日は僕の旅の話しをきいてください。 |
|
お前。メキシコで英語が通じると思ってたらしいな。 |
|
アンディー。そうなんだよ。世界どこにいっても英語でなんとかなると思ってたんだ。 |
|
英則。考えが甘いよ。ラテンでは英語はほぼ通じないぞ。 日本は義務教育で英語を必須にしているからまあ、どこにいっても英語が通じると思うかもしれないけど、ラテンでは小学校もしっかりいける人は少ないんだ。小さいころから、どんな仕事でも働かなければ生きていくことはできない。だから学校にいけない子はいっぱいいる。まあ、もちろん金持ちで高学歴のものもいるけどな。 ちなみに俺は英語はペラペラだけどな。 I am a turtle. I am a sea animal. |
|
アンディー。英語うまいな。 俺はあの時はまだ、日本を中心に物事を考えていた。日本の教育水準がふつうと考えていたんだ。 やっぱりこうして考えると日本は40%以上の人が大学にいって勉強するっていうから豊かなんだな。ちなみにマイアミも英語が通じなかったな。 |
|
マイアミはラテンの基地だからな。あそこはラテンの各国から人が集ってくるからな。 あそこからなら、ラテンのどこに飛んでも航空券が安いぞ。 |
|
アンディー。そうらしいね。俺はてっきり陸路より空路のほうが高いと思い込んでいたけどそうでもないね。 マイアミはラテン行きの航空券が安いな。やっぱり乗客数が多いからなんだろうね。 |
|
そういえば、英則。お前メキシコに入って子供が働いているのを見てビックリしたそうだな。 |
|
ああ、ビビッタ。なんで子供が働いているんだろうと。 |
|
このボケ。考えが甘いんじゃ。日本でノノホンと大学生活送ってたお前とは違うんじゃ。子供たちは自分の家族の生活のために一生懸命はたらいてるんじゃ。 親にできるだけ迷惑かけたくないってな。お前も少しは考えろ!! いつも飯がまずいだ。働きたくないとか生意気なこというな!! |
|
アンディー。ほんとだね。俺はほんとに恵まれている。しっかり勉強させてもらって、その上世界旅行までして、恵まれすぎた。 子供たちの真剣に働くまなざしは心に何かを訴えたよ。 |
|
そうか、わかったか。まあ、ワシモついつい説教調になるが許せよ。 じゃ、今日はこの辺で終わろうか。もう愛しのサブリーナちゃんが待ってるから。 それじゃ、英則おつかれ。 みなさん。長い間ご苦労さまでした。 |
|
アンディー。どうもありがとう。 みなさん。どうもありがとう。 それでは、また会いましょう。 |
| ■ページトップへ戻る |
| ひでのりの旅で学んだこと | ||
| 第 1 回 | 子供が働く中南米にて | 1999年05月11日 |
|
1.メキシコでは子供が働くのは普通である 2.メキシコではスペイン語が話せないと駄目である 3. マイアミからラテン諸国への航空券は安い。 4. 海亀アンディーは説教臭い。けど女好きである。 |
|
| 前回の旅日記へ | 旅日記の目次へ | 次回の旅日記へ |
Copyright 2002 www.mucha-suerte.com All rights reserved.
|