モアイの誘い ムーチャスエルテのジフ
ムーチャ・スエルテはスペイン語で『がんばって』という意味です!!
BOLIVIA フォルクローレの
世界で一流になる

2004.09.15

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秋元 広行さん フォルクローレの本場ラパスで一流の音楽家を目指す
ギターを演奏する秋元 広行さん ( 右 )
秋元さんは【 Mosoj LLojta 】《 モソフ リャフタ 》 というグループを組んでおり、
ギターを担当しています。
一流の音楽家を目指す秋元広行さん
秋元広行さんは現在【 Mosoj LLojta 】《 モソフ リャフタ 》という グループでギターを担当しています。 このグループはラパスで一番有名といわれる ペーニャ《マルカ タンボ》にも登場するグループです。
(注)ペーニャとはフォルクローレを聞いたり、踊ったりできる バーのことです。
秋元さんは大学卒業後はボリビアで音楽修行をすることを 考え、卒業後1年間働き、ボリビアで2年間暮らすことができる だろうという費用を蓄えてボリビアにやってきました。
ラパスでの生活も5年になり、 ペーニャで演奏したり、 スタジオミュージシャンとして CDの録音に携わるという音楽活動をしています。
とりあえず、今の目標は自分のCDを 発売できるようになることだそうです。
挑戦し続ける秋元さんにフォルクローレの 話や、こちらにきたときのエピソードなどを 尋ねてみました。

管理人から秋元さんへの質問!!
hidenori みなさん。こんにちは、管理人の坂本英則です。
今回はラパスで一流の音楽家を目指す秋元広行さんに 話を聞いてみました。
秋元さんは大学卒業後、一年間企業で働き、 こちらで2年間生活できる資金を貯めてボリビアに 音楽修行にやってきました。
早速質問にうつりたいと思います。

こちらに来た理由はなんですか?
akimoto みなさん。はじめまして。秋元広行です。
一言でいえば、 本物が見たかった ということです。
私は日本にいるときから、大阪で フォルクローレのグループを組んでいました。
本格的にフォルクローレの活動を始めたのは 大学1年生のときからです。
とにかく、日本に入ってきたCDとかテープなんかを 聞いてそれをコピーするのではなく、 実際に現地で自分のやっている音楽に触れてみたかったんです。
hidenori もうこちらに5年目になるということですが、
こちらに到着したときはどうでしたか?
苦労したことなどはありますか?
akimoto そうですね。2年間のつもりで来ましたが、 幸運にもこちらで生活をできるくらいの仕事があり、 音楽活動を続けることができています。
着いたときのエピソードというと、
はじめにラパスのエル・アルトの空港に着いたときのことは よく覚えています。
とにかく空港あたりは標高が4000メートル以上もあるので
空気が乾燥していて、冷えていて、空気を吸っても吸ってない(笑) 感じがしました。
あのエル・アルトの空港を降りた 第一歩の空気は今でも忘れられません。
もちろん言葉でも苦労しました。 こちらはスペイン語ですからね。
hidenori 言葉ははじめ苦労しますね。私もそうでした。
それでそれからどのように?
akimoto 一応、日本にいるときから ラパスに住んでいる方を紹介されていたので その方のところに行きました。
ラパスで現在ホテル一番を経営されている南雲さんという方なんですが、
2年ほど一緒に住まわせていただきました。
南雲さんには今でも頭が上がりませんね。
言葉のほうは、 1年目で相手のいっていることが30%、2年目で 50%、3年目でやっと対等に話しているというかんじになったように感じます。
hidenori はじめにこちらにきてどのように
音楽活動は始められたのですか?
akimoto JUAN CARLOSさんという有名な方がいるのですが、 その人を師としました。
とにかく、ボリビアの曲を 1年間で100曲覚えるということから はじめました。
hidenori 師を持ち、本場の音楽に触れる中で
どのようなことを学びましたか?
akimoto はじめに感じたのは、フォルクローレって 一言で片付けらてしまっていますが、
いろいろな ものがあることにびっくりしました。
フォルクローレっていうと、日本人の場合は コンドルは飛んでいくみたいなものを イメージするのが普通だと思うのですが、 それは、ほんの氷山の一角なわけです。
日本に来ているものは随分と限られていると思いました。
だから、ギターでも弾き方の幅が非常に狭くなっていましたね。
日本にいるときは、とにかくテープから音を 取って、それを忠実に再現することを考えていました。 しかし、こちらで様々な曲や人に触れることによって、
人によって、弾き方、表現の仕方が違うということを 感じました。
hidenori たしかに、日本には南米の曲はあまりきていないように 感じますね。
師匠からはどのようなことを学びましたか?
akimoto 技術的なことももちろんですが、 JUAN CARLOS先生には
「 こうやらなければならないことはない 」
自分の内部、心からでるものを表現するという 精神的な部分も学びました。
また、音楽家として非常に啓発されました。
歌うことが好き。ギターを弾くことが好き。
それが生きるということだと。
hidenori 技術的なものだけでなく、精神的なものも 学んだわけですね。
ところで日本でやっているフォルクローレと
こちらのフォルクローレの違いは何ですか?
akimoto 日本もフォルクローレがさかんになってきています。 フォルクローレについて非常によく知っている方も おり、フォルクローレの演奏技術や人気は 高まってきていると思います。
しかし、その土地には行った人にしかわからない、 生活したものにしかわからないものがあるわけです。
要するに、そこに住む人々の生活や体験の中から歌が生まれるわけです。
厳しい鉱山労働の中から生まれた歌もあるなら、
アンデスのどの花よりも美しい女性への恋心を歌った歌も あるでしょう。
ちょっと関連しているので話しますが、ラパスには非常におもしろい 酒場があるんですよ。
【 GUITARREADA 】《 ギタレアーダ 》という ギターなどの楽器を演奏しながら、酒を飲んでみん なで騒ぐパーティーがこちらにはあります。 ギタレアーダは友達の家でやるのが普通なんですが、 レストランなんかでも行われることがあって、 音楽家が心からでてくる曲を演奏します。
うまくいえませんが大切なことは 心からでるものを表現するということでしょうか。
また、こちらは本当に実力主義が徹底していますね。 うまいかどうかそれが大切なわけです。
上手であるなら、細かいことは大目に見られます。
hidenori こちらにきてから心がけていることはありますか?
akimoto 私のモットーは
「 何でもやる 」 「 すべてに挑戦 」「 やりたいことをすべてやる 」 です。
今は和太鼓のグループを組んだりもしていますし、 日本語学校の教師をしていたり、 企業からの日本語からスペイン語の翻訳の仕事を 受けたりしています。
またフォルクローレはいろいろな人と 組むようにしています。
また、今月末には市民劇場でミュージカルに出演したり、 オーケストラでバッハを歌ったりします。
なぜ何にでも挑戦するかというと、 ちょっとした体験があります。
聞いて下さい。
コーラスってありますよね。あれって 歌っているときの顔はかなりヤバイですよね(笑)
だから、やりたくなかったんですけど、 大学生のときに、すごいよくしてもらってる先輩から コーラスに入ってくれって誘いを受けて、 断れなくて入って続けたわけです。
その場限りで終わりだろうと思っていたコーラスですが、
そのコーラスで学んだことが、 今こちらで歌を歌うときに 非常に役に立っているんです。
真剣に何でも取り組んでいれば、 どんなところでそのことが役に立つか わからないと感じたエピソードのひとつです。
hidenori 現在は【 Mosoj LLojta 】《 モソフ リャフタ 》で
ギターを担当して、また歌も歌っているわけですが、
現在までのこちらでの音楽活動について教えてください。
akimoto こちらにきてから、もう何年も経っているので いろいろなグループを転々としました。
また、スタジオミュージシャンとして CD作成に携わったこともたくさんあります。
現在、【 Mosoj LLojta 】《 モソフ リャフタ 》、 日本語だと新天地とか、新人類という意味なんですが、 このグループで【 NAILA 】というペーニャで 木・金・土演奏しています。 また【 MARCA TAMBO 】でも午前1時半以降から 週末を中心に演奏しています。
hidenori 最後になりますが、
これからの目標はなんですか?
akimoto 助っ人としてCD製作に関与するのではなく、 自分のCDを出したいですね。
実は自分のCDの録音も最近始めました。
かなり変わったCDになる予定です。
とにかく、こちらで音楽生活を続けていきたいですね
5年間まったく一度も日本に帰っていませんが、
もしも、日本に帰ることになっても フォルクローレは続けたいと思います。
自分は関西の人間ですから、 関西にフォルクローレをもっと広げたいですね。 フォルクローレの素晴らしさをもっと 日本の方に伝えたいと思っています。
最後なのでいっておきますと こちらにきて、曲は現地の生活から、 心から生まれてくるということが わかったこと が、こちらにきてからの大きな収穫になっています。

インタビューを終えて
演奏する秋元さん
秋元さんの出会いは偶然でした。 ペーニャはホームページで紹介しなければいけないなと 思っていた私はラパスで一番有名なペーニャに行きました。
私はそこで意外な光景を目にして驚きます。 なんと日本人の方がボリビア人の 中に入って演奏しているのです。
有名店でボリビア人と一緒に演奏できる日本人がいることに驚きました
ボリビアという日本の反対側で活躍する日本人に 私は非常に持ち、無理やり(笑)インタビューして いろいろと尋ねてしまいました。
夜が明けるまで(笑)非常に迷惑だったと思うのですが 快くインタビューに答えてくださいました。
インタビューをしていてわかったのは 秋元さんはすでに地球の歩き方でも紹介されていることが わかりました。
「 地球の歩き方に僕のこと、載っていますよ。 」といわれました。
しかし、歩き方を持っていなかった私は 日本人の方がペーニャで演奏することを知らないでいました。
しかし、知らなくてよかったな〜と思いました。 というのも、日本人が演奏しているなんて本当に意外で驚くことができたからです。
知っていて、なるほどなって思うより、 知らなくて驚いたほうが人生楽しいですからね(笑)
とにかく、ラパスに行ったら秋元さんの演奏を聞きにいってみてください。


【 秋元広行さんの演奏するお店 】: 【 MARCA TAMBO 】《 マルカ タンボ 》
【 住所 】: Calle Jaen 710
石畳の道路で有名で四つの博物館で有名な ハエーン通りにあります。
【 費用 】:  チャージは3ドル以下、 ドリンクはボリビア名物のお酒 シンガニで2.5ドル程度。
【 時間 】:  週末に午後10時くらいからはじまり、 盛り上がると終了は午前3時くらいです。
いくつかのグループがでます。 秋元さんのグループの登場は 午前1時以降になることが多いようです。
【 交通 】:  とにかく、タクシーを使うことです。 ラパスはナイフ持った人が現れそうな 雰囲気が漂っています。 タクシーはハエーン通りの入り口まで 行くのでそこからちょっとだけ歩きます。
帰りはタクシーは降りた場所ではっていることでしょう。 確実なのは、店の人に【タクシー】といって 呼んでもらうことです。
【 出演グループ 】:  その日に出演するグループの名前は 昼間からマルカタンボの前の看板に張りだれているので 確認するとよいでしょう。

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