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□ / \ 南米情報ムーチャスエルテ・メールマガジン
■( 旅 ) ≪(^0^) VAMOS!!≫ VOL 45
□ \ // 2003/09/26(金)
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★★★★★★★★★★…・も・く・じ…・★★★★★★★★★★
1.発行者挨拶 『 ペルーはインカ帝国だけではない 2 』
2.更新内容
3.スペイン語のことわざ 『 Sin dinero no puede conseguir nada 』
4.終わりの挨拶 『 つり銭を用意していないラテン文化 』
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□ 1 発行者挨拶 『 ペルーはインカ帝国だけではない 2 』
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みなさん。こんにちは。
「 南米情報ムーチャスエルテ 」
http://www.mucha-suerte.com
の管理人の坂本英則です。
今回は前回の続きです。
前回のおさらいはこのページよりご覧ください。
www.mucha-suerte.com/merumaga/2003.09.24.html#0
前回は紀元後700年〜800年ごろまで続いた
HUACA del SOL y la LUNA
( 太陽のワカと月のワカ )を作ったモチェの話をしました。
普通の人では考えつかないANTROPO-ZOO-MORFOS(人間と動物の一体化)
の土器や黄金を作っていたという話をしました。
【チクラヨにはモチェ文化のシパン王の墓がある】
また私が現在いるチクラヨは
トルヒージョからバスで3時間程度なのですが、
そこでは1987年にモチェの王の墓
シパン遺跡が発掘されました。
シパン遺跡はトルヒージョの月のワカや太陽のワカなどと
一緒のモチェ文化の最後の王の時代に
築かれました。
チクラヨからバスで北に向かって15分で行くことができる
ランバイイケの博物館では
人間と動物の一体化の黄金を見ることができます。
昔はブルーニン博物館にあったのですが、
現在は新しくROYAL TOMBS OF SIPANという
そこから200メートル程度離れた博物館に
移されました。
このチクラヨを通ることがあったら
この博物館には絶対行ってください。
ANTOROPO-ZOO-MOFRO(人間と動物の一体化)の
黄金に驚くことでしょう。
人間と動物の一体化といえば、エジプトの
スフィンクスはライオンの胴体で頭は人間でしたね。
モチェの場合はカニ、エビ、ヘビ、コンドル、魚などとの
人間が一体化しています。
この人間と動物の一体化された土器などは
また今度ホームページで紹介したいと思います。
黄金については写真撮影不可などで
博物館の写真をまた私のデジカメでとったものを
見る形になると思います。
黄金がなぜ残っているのか?
と疑問を持つ読者の方もいらっしゃるでしょう。
それはなぜかというと
インカ帝国の所有していた金銀は
フランシスコ・ピサロ兄弟率いるスペイン軍は
本国に根こそぎ持ち帰ってしまったことは非常に有名な話だからです。
そこでまた謎が残ります。
スペインからのピサロの遠征軍は
たったの200名程度だったそうです。
北はコロンビアの国境付近から南はチリの中部まで
支配していたほどの強力なインカ帝国がなぜ
スペイン軍のピサロに滅ぼされしまったかということです。
インカ帝国は1200年頃から1532年のアタファルパが
捕らえられるまで続くのですが、
次々と支配の手を伸ばしていき
1400年代に最盛期を迎えた帝国はなぜ
200名程度のスペイン人によって
滅ぼされてしまったのでしょうか?
それには様々な説があると思うのですが、
先ずは鉄砲の威力や
馬がいなかったことなどで
インカ帝国のインディオが
鉄砲の威力に恐れをなしてしまったと
いう説明で終えてしまっているガイドブックもあるでしょう。
私はあまりしっかりと調べていないのですが、
前置きとして、インカは
クスコを建設したのは、チチカカ湖から現れた
太陽神の息子である初代インカ皇帝といわれるマンコ・カパックと
ママ・オクロの二人であると思っており、
インカの人々は太陽神インティを信仰しました。
また神々の中の神として崇拝されていたのが
ビラコチャという神で、
ビラコチャは天地創造の主とされていた。
またビラコチャは科学と魔術の名人であり
インディオたちに彼らが生きていくうえでの
技術と文化を教え、
その後、部下たちとともに
海の上を歩いて消えていったという伝承があるようです。
その崇拝されていたのを照明するかのように
クスコのコリカンチャ(現在のサントドミンゴ教会)には
金で作られたビラコチャの崇拝像が置かれていたそうです。
伝承ではその神は肌の色は白くて
あごひげをたくわえて、背が高く、長いマントを着ている。
また見たこともない火を吹く兵器を持っていたと
伝えられていたようです。
そして混乱の時代に突如現れて
また世界に秩序を取り戻すために現れるという
話が受け継がれていたようです。
ここまで読んでピンときたかたも
いらっしゃると思います。
そうなのです。
インカで崇拝されていた神の外見的な特徴は
偶然にもスペインから新大陸に金を求めてやってきた
白人に似ているのです。
また、スペイン人が南米に現れてとき
インカ帝国は兄弟が争っていました。
第12代の皇帝ワイナ・アパックの息子たち
ワスカル、そしてアタファルパです。
父親はワスカルには帝国の南のクスコ方面、
アタファルパには帝国の北のキト方面を
仲良く治めるようにしたかったようですが
二人はインカ帝国を自分だけのものに
しようと争っていたようです。
そんなとき、 神の中の神として
崇拝されていたビラコチャに外見が似た
スペイン人がインカ帝国の最後の皇帝になる
アタファルパのもとに現れるのです。
おもしろくなってきたので
次回に続きます。
失礼します。
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□ 2『 ホームページの更新内容 』
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今回のホームページの更新内容です。
★☆★ 南米 旅の写真集 チクラヨ ★☆★
【 シパンの墓 】
ペルーの北部のモチェの王 シパンの墓の写真を集めたものです。
1987年に多数の金が発見されましたが、
その発掘されたところには金は置かれておらず
チクラヨから15分程度バスでいった
ランバイケのROYAL TOMBS OF SIPANに展示されています。
www.mucha-suerte.com/photo/sipan1.html#top
★☆★ 南米の名所 紹介 ★☆★
【 チクラヨ 】
チクラヨではモチェ文化とシカン文化の黄金を見ることができます。
またモチェとシカンのあとに起こったランバイケ文化の
ピラミッドを見ることができます。
もちろんモチェの王のシパンの墓、
シカンの黄金の見つかった遺跡も見ることができます。
詳しくはホームページを見てください。
www.mucha-suerte.com/ciudad_peru/chiclayo.html#top
www.mucha-suerte.com/ciudad_peru/chiclayo2.html#top
★☆★ ペルー料理の紹介 ★☆★
【 とうもろこし チョクロ 】
こちらのとうもろこしは日本のとうもろこしと違って、
粒が白くて大きくて柔らかいです。
日本ではジャイアントコーンってかんじでしょうか。
www.mucha-suerte.com/comida/choclo.html#top
★☆★ ペルー料理の紹介 おやつ ★☆★
【 カチャンガ 】
カチャンガは小麦粉をこねて、
油で揚げて、それに蜂蜜をかけて食べるお菓子です。
www.mucha-suerte.com/comida/cachanga.html#top
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□ 3 スペイン語のことわざ『 Sin dinero no puede conseguir nada 』
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これを訳すと
金がなければ、何も得られない
という意味です。
これは実はことわざではありません(笑)
先ほどことわざコーナーを作成しなくては思って
30分程度考えていたのですが、
なかなかことわざを思い出すことができず
苦肉の策で【よく使われる言葉】を紹介することにしました。
私の中ではけっこうことわざくらい重い言葉だと
思いますが、言い方が直接的すぎて
ことわざというかんじではないような気もします。
やはりことわざというのは言葉の泉で
読む人の体験などによって
いろいろな心理を引き出せることが
おもしろいところです。
この言葉は直接的過ぎますね。
この言葉はコロンビアにいると
けっこう男性が使っています。
もしも自分がこのことを
こちらの人にいっても
「 Claro = もちろん」
という反応を得られるでしょう。
まだ資本家と労働者の意識が薄く
特殊な資本主義をいく我が国日本では
この言葉に対して反感する人もいるかもしれません。
このことわざには続きがあって
Sin dinero no puede conseguir nada,
pero solo dinero no puede ser feliz.
( お金がなくては何も得ることはできないが
お金だけでは幸せになることはできない )
後ろの言葉は今、自分が書いたもので
これは人によって言い方が異なります。
今回の
pero solo dinero no puede ser feliz.
は私の発想です。
お金は生きるためには重要であるけれど
全てではありません。
Sin dinero no puede conseguir nada,
pero dinero no es todo.
( お金がなくては何も得ることはできないが
お金が全てでない )
というこちらの人もいます。
こちらの人は日本人に比べると
所得はかなり少ないのですが、
日本人よりかなり楽しそうにしています。
それはどうしてだろうと
いつも悩みときがあります。
日本にいるとまわりも自分も(笑)
みんな 「 疲れた 」
といっていたり、
顔が死んでいたりします(笑)
こちらはとにかく
「 最高!! 最高!! 」
で中畑清さんの絶好調という
かんじで顔がイキイキしている人が多いです。
生活は日本よりも断然苦しいのに
人は楽しそうに生活している。
自分も彼らのこの精神の持ち方を学ぶ必要があるなと
いつも思っています。
それでは、今回は以上です。
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□ 4 終わりの挨拶 『 つり銭を用意していないラテン文化 』
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みなさん。こんにちは。
坂本英則です。
今回はラテンにきたら
誰もが経験することなのですが、
物を買ってお釣りをもらうときに
誰もが待たされます。
それというのも
こちらの人たちはおつりを
用意しておかないのです。
日本では商売をやっているところは
おつりを銀行などで
用意しておいて
必ずおつりをすぐに出せる状態にしておきます。
私の家は床屋をしているのですが、
おつりとなる100円玉の小銭を用意するため
私は子供のころいつも1万円札を持たされて
近所の駄菓子屋さんに両替をしにいきました。
駄菓子屋さんは小銭がよく使われるので
私がくるためにいつも100円玉を50枚くるんで
用意しておいてくれていました。
話はかわると
私はいつも何か頼まれると
元気がよいせいか走っていくのですが、
一度両替した帰りに
転んで5000円分の包装紙に包まれた
100円玉をドブに落としてしまったのです。
「 ああ。お金がドブに・・・・・」
今では5000円くらいなんてことはないのですが
(本当はつらいが人が読んでいるので強気で)
子供のころの私には大金でかなり動揺しました。
転んですりむいた膝も痛かったのでしょうが
それ以上にお金を落としてしまったという
ショックのほうが大きく
時間が止まったように感じました。
「 ああ。どうしよう・・・ 」
今の汚れている性格とは違い、
昔は汚れてなかったので(笑)
母親が悲しむかもしれないと
気持ちが暗くなりました。
私はいつもは走るのですが
気持ちが暗くなっていたので
下を向きながら歩いて家に帰りました。
母親は
「 ひで。どうしたの。遅かったじゃない
両替してきてくれた? 」
と笑顔で僕に聞いてきました。
いつもは
「 両替してきたよ。ここに置いておくね。」
といって自分の部屋に戻るのが普通です。
私は落としたことを正直にいおうか迷い
だまっていました。
母親は
「 どうしたの? 」
と問いかけてきます。
私は小声で
「 落とした 」
と一言いいました。
母親は
「 どこに落としたの? 」
と聞いてきました。
私は自分がお金を落とすというドジをふんでしまったことを
非常に恥ずかしく感じていました。
「 転んでドブに落とした 」
と答えました。
母親は落とした場所に一緒にいこうと
行ってきました。
するとまわりから、近所の知り合いが集まってきて
(田舎なので近所の人はみんな知り合いなのです)
ことの成り行きを母親が説明すると
近所のおじさんたちがドブの蓋を開けてくれて
どこからともなく、ビニール手袋を
持ってきて、ドブの中を探し始めてくれました。
私と母親は拾ってくれている様子を見ているだけだったのですが、
(ちなみに近所の野次馬隊のおばさんたちも集まってきていました・・笑・・)
5分後には4500円くらいは無事見つかりました。
たしかにいくらかは無くなってしまったのですが、
だいたいはどうにか自分たちのもとに戻ってきました。
とにかくちょっとした事件であったけれども
近所の人のよい人たちの助けでなんとかなった一件でした。
私にとっては非常にありがたい助けでした。
今は時代が移りかわり
近所の人ともあまり交流しなくなってしまいましたが
あのころは町にも活気があるような感じがして
人の愛情もあり良い時代だったような気がします。
それではまた次回に会いましょう!!
という話ではありませんでしたね。
こちらのつり銭の話に戻ります。
だいたいこちらはつり銭を用意していないので
大きな札の場合などは買うことを拒否されるということが
あります。
また例えば駄菓子屋で100円で50円のものを買おうとしても
50円のおつりがないということもたびたびあります。
絶対おつりが必要なことが明らかな商売なのに
なぜおつりを用意していないのだ。
といつも思うのですが、
こちらではそれが常識となっているので
だれも改善しようとはしません。
だいたい、おつりは子供が親に命令されて
まわりの露天商やお店に
走っていって両替してくるというのが常です。
しかし、まわりも細かいお金を持っていないことが
多くて遠くまで走ることが多いようで
ちょっとしたおつりをもらうために
5分待たされるなんてことも
あります。
私はかなりせっかちな人間なので
おつりをもらうために
5分待たされることはかなり苦痛です。
もうおつりはいらないから
帰ってしまおうと思ってしまうことは
たびたびあるのですが、
私がこのようなことをすると
相手が得することになり
もしかして外人はこういう人が
いるのでは思われ
おつりがあるのにないといって
待たせて客がおつりをいらないと
言うのを狙う商売人も現れるかもしれないと
思ってつらいけど待つことにしています。
こちらの人はあまり相手の時間を
使ってしまうということを考えていないようです。
待たせる=相手の時間を奪う
ということに直結するわけですから
サービスという面ではサービスがかなり悪いことになります。
たしかに生活が非常に苦しいので、
そこまで気を使っている余裕がないというのは事実です。
ただ、私がこのおつりのことで思うことは
相手の立場を常に考える日本の伝統は
立派であると思っています。
最近は西洋型の発想に移りつつある世の中で
日本の文化の良い点というのをしっかりと自覚して
活かしていけたらと思います。
次回お楽しみに!!
ムーチャスエルテ メールマガジン 《 VAMOS 》
発行者:坂本英則
===========★VAMOS 第45号★==========2003/09/26(金) 発行===========
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