モアイの誘い ムーチャスエルテのジフ
ムーチャ・スエルテはスペイン語で『がんばって』という意味です!!

ムーチャスエルテのメールマガジン
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□  / \ 南米情報ムーチャスエルテ・メールマガジン
■( 旅 )  ≪(^0^) VAMOS!!≫   VOL 47
□ \ // 2003/10/09(木)
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  ☆☆☆  http://www.mucha-suerte.com  ☆☆☆
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★★★★★★★★★★…・も・く・じ…・★★★★★★★★★★ 1.
発行者挨拶 『 プレインカのシカンの黄金仮面 』 2.更新内容 3.西語のことわざ 『 Del arbol caido todos hacen len~a 』 4.終わりの挨拶 『 南米と日本の情報格差について 』
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■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ □ 1 発行者挨拶 『 プレインカのシカンの黄金仮面!!  』 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□  みなさん。こんにちは。 「 南米情報ムーチャスエルテ 」 http://www.mucha-suerte.com の管理人の坂本英則です。 今回は紀元後750年頃から1375年まで続いたペルー北部に 栄えたシカン文化について書きます。 はじめにことわっておくと、 チクラヨから北に18km行ったフェルレニャッヘという町に シカン博物館があるのですが、 建てられてから2年経つのですが、 思ったより観光客がきていないとのことで 私が南米のホームページをやっているということをガイドに 伝えると、ガイドはガイド代は全く要らない。 自分たちの知っていることを全部教えるから そのかわりにあなたのホームページで このシカンの魅力をホームページで日本の人々に 伝えてくれと熱く対応してくました。 ですから、今回のメールマガジン、そしてホームページは かなり自分の中では重要になっています。 またシカンはプレインカの遺跡であり、 南米にあるヨーロッパの比較的新しいコロニアルの 世界遺産とは違い、文献などが残されていないので 好奇心を湧きたたせる文化です。 それでは【シカンの文化】についてかいていきたいと思います。 【 素晴らしい黄金を持つ文化 】 【 首を切るための大きな金のナイフ 】シカンで世界的に有名な金といえば 1937年にバタングランデのポマックの森にある シカンの遺跡のワカ ベンターナで見つかったツミです。 ツミとは大きなナイフのことで、紀元後1世紀から 紀元後800年頃まで続いたモチェ文化で 生贄の儀式で戦争の捕虜の首を切るために使われました。 生贄は戦争で捕虜にされた男性でした。 シカンでは生贄は女性でした。 モチェの文化ではナイフとデカピタドール「首を切る者」 が 一緒になった黄金細工がみられました。 デカビドールとは血を象徴するコウモリとクモと人間の一体化された神の ことです。 シカンではこのツミというナイフと シカンで崇拝されたナイムラップという神が一緒になった ツミが有名です。 ナイムラップとは、シカンの神話で ここに住むものに全ての文化を授けて、 死んだ後、鳥になり空に消えたという 伝説の神です。 よくペルーの北部の文化を紹介する際に 使われる写真はこのシカンをかたちどったツミであることが多いです。 【 日本人考古学者 島田泉教授がシカンの黄金仮面を発見!! 】 このシカン遺跡は南イリノイ大学で考古学を研究する 日本人考古学者 島田泉教授が1991年にワカ ロロの 東の墓から黄金の仮面をはじめとして数々の金を 発見して有名になりました。 島田泉教授の発見までこのシカン文化は 文字を持たない文化として歴史から姿を消した存在だったのです。 シカンの黄金仮面の発見はエジプトのファラオに続く大発見と言われています。 それまではここから出ていた金もインカ帝国のものと 混同されていました。 島田泉教授は1995年まで17年間にわたり こちらに通っていたといわれていますが、 なぜこのチクラヨの地域を発掘しようと思ったかという動機は インカ帝国のものと言われていた黄金を見ていたときに 黄金の像に二つの目の種類があったことに端を発しているとのことでした。 なぜこれらの黄金の像には丸い目のものもあれば、 細長い目のものもあるのだろうか? インカのものと思われている金の像に二つの 目の種類があることに島田泉教授は着目したのです。 【 黄金の仮面の発掘されたバタングランデは盗掘者たちの天国 】 盗掘者たちの天国というのは語弊を生むかもしれませんが、 このあたりはバタングランデの地主たちが組織的に 盗掘を繰り返してたきたそうです。 ペルーの盗掘の歴史は長くランバイケにあるモチェの博物館の 盗掘の歴史コーナーによると16世紀から行われていたようです。 シカン博物館のガイドのファン・カルロスさんによると ペルーの法律で盗掘が禁止されたのは1960年代後半からという ことでした。 また1987年のチクラヨから東南に28km行ったシパンでの モチェの黄金の発見から盗掘に関してかなり厳しくなったそうです。 ディスカバリーチャンネルのモチェの特集でも 盗掘者によって掘られた無数の穴が紹介されています。 また先日バタングランデの銅や金を加工していた 山にいったときにも地面には無数の盗掘の穴がありました。 またシカンの遺跡にいったときにも 夕方に若者が島田泉教授が黄金仮面を発見した近くを 私のことを気にしながらシャベルで掘っていました。 私は変に関わると何が起こるかわからないので そのまま無視して通り過ぎました。 若者が5,6メートル掘っただけでは 過去の盗掘の跡にも届かないでしょう。 それというのも島田泉教授がワカ ロロの東の墓で 黄金仮面を発見したのは地表から13メートルの地点です。 またディスカバリーチャンネルの中で、 島田泉教授が発掘中にブルドーザーの車輪の跡を何メートルも 掘ったところで発見して、これから下はまだ盗掘者に 荒らされていないといっているところがあると いっていたのを印象的に覚えていたからです。 ブルドーザーを使って掘るとは盗掘者もなかなかです。 島田泉教授は発掘の際に盗掘者からも情報を収集していたそうです。 【 なぜシカンの黄金がペルーに残ったか? 】 前回のメールマガジンはフランシスコ・ピサロが インカ帝国から黄金を略奪する過程について書きました。 インカ帝国が持っていた現存していた金銀財宝は スペインに持っていかれてしまいました。 シカンはチムーに滅ぼされ、チムーはインカに滅ぼされ インカはスペインに滅ぼされます。 という敬意を考えれば、滅ぼされた国の黄金は 滅ぼした国へと渡っていくと考えるのが妥当です。 インカの黄金の大部分はスペイン人によって 奪われ溶かされて本国に持ち去られました。 それではなぜシカンの黄金がペルーの残ったのでしょうか? これは当然湧く疑問です。 これは私の推論になりますが、 チムーやインカは滅ぼした国の建物などを 破壊するようなことはしなかったようです。 スペイン人は建物から偶像全てのものを 破壊してその上に教会を建てて キリスト教を現地の人々に強いました。 政教一致の支配体制をとったのです。 目に見えるものは現存の信仰を残し 支配体系を揺るがすものと考えて 破壊していったのでしょう。 またそのときには古い遺跡などを観光するという ヨーロッパから生まれた概念も存在していなかったのでしょう。 滅ぼされたものの黄金は滅ぼしたものが 持っていると考えればペルーの黄金はヨーロッパに 持ち去られたと考えるのが妥当です。 しかし、私はこのペルーの北部の地域を観光していて 遺跡が原形を留めておらず、丘のようになっている事実を 知っています。 日干しレンガを積み重ねて作ったピラミッドは この地域を襲う大雨エル・ニーニョ現象によって 溶けて角をなくしていき丘のようになっているのです。 遺跡の保存状態が悪くて現在観光に適していないという 事実が現在ありますが、 実はそのことがペルー本国にプレインカの黄金を 残すことになったと私は思っています。 また文字がなかったことで、 王朝のあった場所が分からなくなっていることも 黄金を略奪されずにすんだ一因となっていると考えます。 インカ帝国は石の技術の高さで知られています。 しかし、インカ帝国の神殿はスペイン人によって 破壊されてしまいました。 それは石でできていたため、神殿であることが 目に見えて明らかだったからです。 インカ帝国の遺跡で綺麗に残っているのは マチュピチュとエクアドルのクエンカからインガピルカ、 そしてクスコの教会の土台となっている石組み オジャイタイタンボ(石組の要塞)などです。 インガピルカ以外のものはあまりにも 大きな石でできているため、破壊したくても 破壊できなかったため残りました。 ですからもしもペルーの北部のピラミッドが 石でできていたなら、それは破壊されて そこに眠ったいた黄金は全てスペイン人によって 本国に持ち去られていたでしょう。 日干しレンガで神殿を建設したことが 後世に黄金を残すことになったと私は思っています。 【 ツミがペルーの黄金博物館から盗まれた話 】 シカン文化を代表する黄金仮面とツミですが、 シカンの姿とナイフが一緒になった一番大きなツミが 1983年に首都のリマの黄金博物館から盗まれました。 海外に紹介するためのものも、いつもこのツミでした。 いったい誰が!! なんと盗んだのはその博物館で働くものだったのです。 ツミは哀れにも粉々になって発見されました。 それというのも形があるままでは高く売れるのは 事実ですが、見つかった時点でペルー政府の没収ですし、 海外に持って行こうにも税関で見つかってしまったら 一文にもなりません。 ですからそのツミはすでに分断されて金製品にして 売られたあとだったのです。 ランバイケのモチェの文化を扱ったTUMBAS REALES DE SIPANの 最後に盗掘を扱ったコーナーがあり、 そこには盗掘者やコレクターから政府が取り返した 金製品が展示されています。 【 バタングランデに失われた文化があったことを意図する大きな石臼 】 文化の存在が認識されていなかったバタングランデですが 実はその地名が失われた文化を人類に思い出させようとしていました。 バタンとはスペイン語で石臼のことを指します。 真ん中の部分がへこんだ大きな石です。 大きな石臼が無数に残されていたことから このシカン文化のあった町はバタングランデと呼ばれていました。 しかし、そこに住む人々もまわりの人々もその石臼が何のために 使われて、現在になっても置かれているのかわからないでいました。 島田泉教授はそのバタングランデ「石臼」にも着目していました。 この石臼は金、銀、銅を加工するために使われていたもので ここに合金を作る文化が存在していたに違いないと。 その石臼の写真は次回(109版)か次々回(110版)にホームページで紹介します。 しばらくお待ちください。 【 島田泉教授の1991年の東の墓の黄金仮面の発掘と1995年の西の墓の発掘 】 島田泉教授の1991年の東の墓の発掘は シカンの文化の存在を明らかにする 世界の歴史を変える大発見でした。 それでは東の墓についての説明をします。 東の墓は3メートル×3メートルの広さで 島田泉教授が黄金仮面を発見したのは 地表から12メートルから13メートルの地点からでした。 またワカ ロロのプラットフォームがあったであろうと 予想される東のピラミッドの付け根あたりでした。 ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ― |            | |            | |            | | ワカ ロロ と東の墓の場所の略図    | |            | |            | |            | |            | |            | ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― |プ| ---- 東の方角 |東| |ラ| | ? | 西の方角       ―― |ッ| ----- |ト| |フ| |ォ| ||| |ム| 島田泉教授が発見した黄金仮面をかぶっていた墓の主体は 頭を下にお尻を上にしてあぐらをかくように埋葬されていました。 そして、体はさかさまだけれども、頭は体から切断されて 黄金仮面を被った状態で真西を向いていました。 考古学的には主体が真西を向いて埋葬されていることは 非常に不自然なことでした。 太陽を信仰するというのが一般的であり 真東を向いて埋葬されるというのが一般だからです。 島田教授はプラットファームの逆側の西に この東の墓と同一で対となる墓があると推論しました。 そしてその主体はこの東の主体と向かいあって真東を 向いているに違いないと。 そして1995年の発掘へと続きます。 この様子はTVSで放送されたそうです。 またシカン博物館の黄金が飾られている 部屋はSALA TVS 【TVSの部屋】 という名前です。 TVSの援助によってシカンの発掘がなされたことが分かります。 1995年は日本の景気は良くなったはずです。 その時代に歴史のドキュメンタリーを作ったのですから TVSの視聴率だけにこだわらないドキュメンタリー魂を感じます。 それでは、次回は1995年の発掘、 そして、東の主体がなぜさかさまに胡坐をかいて 埋葬されていたかをお送りします。 次回のホームページのトップの写真は そのさかさまに胡坐をかいて埋葬された主体です。 それでは次回お楽しみに!! 失礼します。
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■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ □ 2『  ホームページの更新内容 』 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ 今回のホームページの更新内容です。 ★☆★ 南米 旅の写真集 ペルー チクラヨ ★☆★ 【 シカンの黄金仮面 】 チクラヨから北に18kmのフェルレニャッヘという 町のシカン博物館にある黄金仮面の紹介です。 このページでは1280ピクセル×960ピクセルの 大きな写真をダウンロードできるので 是非日本人考古学者 島田泉教授が発見した 黄金仮面の迫力を画面いっぱいに楽しんでください。
www.mucha-suerte.com/photo/mascaradeoro1.html#top ★☆★ 南米 旅の写真集 ペルー チクラヨ ★☆★ 【 黄金仮面が発見されたポマックの森 】 チクラヨから北に56kmいったバタングランデに シカン文化は生まれました。 バタングランデにはポマックの森が ありその中にシカンのピラミッドは建設されました。 紀元後750年ごろから1100年ごろまでシカン文化の 中心として栄えました。 ポマックの森には樹齢1000年を超える木や あふれんばかりの家畜、そして鳥たちが 生息する自然と歴史を味わえる森です。 鳥のさえずりをウィンドウズメディアファイルで ダウンロードできるので是非聞いてみてください。 www.mucha-suerte.com/photo/pomac1.html#top またポマックの森の中にある島田泉教授が発掘をした ワカ ロロの写真などがのっているページがこれです。 www.mucha-suerte.com/photo/huacaloro1.html#top ★☆★ ペルーの乗り物の紹介  ★☆★ 【 モトタクシー=バイクタクシー】 モトとは日本語にするとバイクです。 バイクタクシーの紹介です。 このペルーの北部は一年中温暖な気候なので このようにバイクを改造して後ろに 車輪をつけて馬車のようにして乗るという 文化が生まれるのですね。 www.mucha-suerte.com/transporte/mototaxi.html#top ★☆★ ペルーのフルーツの紹介  ★☆★ 【 イモに見えるけどイモじゃないよ イアコン 】 イアコンはペルーの特産品だと思います。 外見はサツマイモのようですが、 実は全然違うのです。実は繊維がたっぷりで水分たっぷり、 しかもほんのり甘いという素敵な食べ物なのです。 軽く洗って皮を包丁で剥けばもうすぐに食べれます。 あふれるばかりの水分の量に驚くでしょう。 今回は思ったのは人も見かけによらないが 『 イモは見かけによらない 』 といったかんじですね。 www.mucha-suerte.com/comida/llacon.html#top ★☆★ ペルー野菜 ジュース  ★☆★ 【 ベタルラガ = ビート 】 ベタルラガはサラダとして使われるのが主です。 野菜なのに甘みがあるというのが特徴です。 ですからフルーツと分類するか、 野菜に分類するか迷いましたが、 野菜ジュースに近いということで野菜に分類しました。 このワラスではこの100%ジュースがよく飲まれています。 ビートは日本でも戦後の砂糖が 不足しているときに砂糖を 摂取するためによく食べられていたそうです。 甘みもあるのですが、 ちょっと土くささを感じさせる野菜です。 www.mucha-suerte.com/comida/betarraga.html#top
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■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ □ 3 西語のことわざ『 Del arbol caido todos hacen len~a 』 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ これを訳すと 倒れた木からみな薪を作る となります。 日本にもこれに似たことわざがありました。 【雨が降れば桶屋は儲かる】 というやつです。 このことわざのいいたいことは 何か物事が起きた場合には それがメリットになる人もいれば デメリットになる人がいるということでしょうか。 人の不幸は誰かの幸福ともいえるかもしれません。 逆をいえば人の幸せは誰かの不幸ともいえるでしょう。 昔読んだ小説の中に作家 五木寛之さんが書いた 九州出身の主人公が早稲田大学に入学する小説が ありました。たしか「 青春の門 」だったと思います。 印象的な部分があって、やくざかチンピラの男性の 彼女さんがこのようにいっていました。 「 回る浮世の水車(みずぐるま)   誰かが浮かべば、誰かが沈む。   あなたを浮かばさせるためだったら   あたしゃ、沈んでもかまいまはしないのよ 」 遠藤周作さんはもっとかっこよく書いていたと思うのですが 私がちょっとした記憶を思い出して書いているので 「 」 内はかなり原作とは違うと思います。 しかし大意は伝わると思います。 今回のことわざと近い部分もあると思います。 会社の中で役職を争っているライバルが いて、もしも相手が沈めば自分が上がるチャンスができる。 こう考えたら二つは近いですね。 外食産業なら雨が降れば店を構えているレストランには デメリットだけれども、宅配をするピザ屋などは 注文が増えてメリットです。 デフレに関しても、自分のようなお金を持っていない人に とっては、お金を稼ぐ機会が減るという意味でかなりの デメリットです。 しかし、日本の景気の良いときに働き資産を残していて これからは使うばかりという年齢がいったかたがたに とっては、物価が安くなりメリットがあるといえるかもしれません。 会社にとっても、好景気のときには人材確保といって いろいろな人をとっていたわけですで、売り手市場だったわけですが、 現在は不景気で企業は新人枠を縮小しています。 こういうときこそ在野に優秀な人間がおり 安くいい人材を雇うチャンスととれるかもしれません。 しかし、全ての物の資産価値が下がっているわけですから 意識的にチャンスとわかっていても資本不足から そうすることができません。 世の中は難しいものです。 また株とか先物,為替の取引は、このことわざは まさにぴったりです。 深いところまでいくと全てがつながっていて 複雑なので簡単な例を株で取り上げます。 株というのは現物株を買って値上がりしたら 売るという手法が基本ですが、 逆に空売りして値下がりしたところを買い取って 利益をだすという手法も存在します。 もしも一株1000円の株があり、 先行き会社の調子がよくなり株価が 上がると思った人は買って値上がりしたところを 売ろうとするわけです。 しかし、同じ会社に全くの逆の読みをする人間もいるわけです。 この会社の株は1000円で落ち着いているのはおかしい。 この会社は技術革新に乗り遅れており、 これから利益を稼げなくなる。 したがってこれから値下がりする。 そういう人は1000円で株を先ず売るわけです。 それで、900円でもいいし、500円でもいいし 下がったところを買い戻すです。 その差額が利益となることです。 もしもその会社が輸入したものをただ売ると いう会社であれば為替が大きく関係します。 もしも円安になれば、その会社にとってはマイナスです。 現在1ドル110円買えたものが、150円になってしまった。 それで日本で売る価格が変わらなければ利益は減ります。 逆に1ドル80円の円高になり、日本で売る価格が変わらなければ その会社の利益は上がります。 現物株を持っている人なら この会社にとってメリットとなる円高を望むでしょうし、 空売りをしている人なら この会社のデメリットとなる円安を望むでしょう。 まあ、他にもいろいろな要素が関係しますが そんなところでしょう。 興味ある人は私は答えている時間がないので 質問は受け付けないので独力で調べてください(笑) 最後に 円高、円安でいえば、現在海外にいる 私はドルでお金を使うので円高はメリットです。 しかし、日本の経済状態を考えると円高は 輸出型国家の我が国日本の競争力の低下を 招きます。 例をあげればアメリカのフォード社の車と トヨタの車で品質が同じものが 他の第三国で売られているとします。 関税や維持費も考えないものとします。 トヨタの車は220万円とします。 フォードの車は22,000ドルとします。 1ドル110円ならトヨタの車は20,000ドルですから トヨタの20,000ドルの車はファードの22,000ドルよりも売れる可能性が高いでしょう。 しかし、円高が進み一ドル90円になってしまったら、 トヨタの車は24,444ドルになってしまいます。 こうなったらフォードの22,000ドルの車のほうが 売れる可能性が高くなると思います。 それでは、一つの事象には裏表があり メリットとなる人もいれば、デメリットとなる 人もいるという話でした。 今回はこれで以上です。 バイチャ!!
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■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ □ 4 終わりの挨拶 『 南米と日本の情報格差について 』 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ みなさん。こんにちは。 坂本英則です。 今回は情報格差について書いてみようと思います。 私は現在ペルーにいますが、 日本に帰ってから住んでいた実家、 (埼玉県の本庄市にあります。 人口約6万人で利根川を隔てて北には群馬県と接しており 北東には栃木県が近いです。近くの有名な町は 北に電車で20分のところに群馬県の高崎市があり 南に電車で20分のところに熊谷があります。 隣町的には東にネギで有名な深谷、南には塙保己一で有名な 児玉などがあります。 また江戸時代には中仙道の宿場町が置かれました。 気候的には冬に冷たい空っ風(赤城おろし)がふいてきます。 また伊勢崎オート、桐生ボート、高崎競馬などギャンブル施設に近く ギャンブル熱が熱い、また群馬県の温泉やスキー場などのアクセツには 東京の練馬から走っている 関越自動車道の本庄・児玉インターを使えて便利といったかんじです。) にいたときとの情報の差は 私はそれほどないように感じています。 私はそれほどないように感じているのですが、 私がそう感じているだけで、 日本のことが大きく気になっている人にとったら かなりの大きな違いがあるでしょう。 ただ、私の日本での情報ライフスタイルと違いが あるといったら、 1.日本のテレビのニュースを見ないので  起きた事件の動画を見ることがなく  その事件の大きさの理解が浅い。 2.日本に住んでいないので  人々の顔や雰囲気からでてくる景気などの感覚がわからない。  また友達と話す機会などもほぼないので  流行などがわからない。 3.2と通じるのですが、町を歩いていないので  どのようなお店が流行りだしているとか  どのようなファッションが流行っているかが分からない。 4.日本では新聞、インターネット、テレビのニュースから  情報を得ているが、現在はインターネットだけになっているので  新聞やテレビでは分かりやすい、その事件の衝撃のでかさが  わかりにくい。インターネットのニュースは並列にニュースが  並んでいることが多いのでそのニュースの大きさがわかりにくいです。  新聞は一面に衝撃に大きいものが大々的に出ているので分かりやすいのです。 5.調べたい本を集めるのが難しい。  アマゾンドットコムなどでは海外発送などをしているのでしょうが、  図書館などに行くことはできないので  書籍代は高くつくことでしょう。  また取り寄せるまでの日数がかかります。  また雑誌などの類はまず手に入りません。   補足:私はほぼ民放のテレビは見ません。 NHKのドキュメンタリーや放送終了前にやっている 景色を流す番組やケーブルテレビのディスカバリーチャンネルや ヒストリーチャンネル、株の番組などが主に見る番組です。 民放は大きなニュースがでたときくらいに見るくらいで 民放で最近見たのは 大学生のときに「 はるちゃん 」という温泉宿を舞台にした 昼ドラと、この旅に出る前に群馬テレビで再放送していた 夏目雅子さんがでていた「 西遊記 」くらいです。 あとは、再放送で70年代後半、80年代後半のドラマがやっていたらみます。 昔のドラマは笑いがあっておもしろい。 ああ。あとドリフ関係があったら見ています(笑) 話を戻します。 こちらでは衛星放送があるので、実はNHKのニュースや 連ドラはこちらでも見ることが可能です。 ですから、衛星放送を入れれば日本との格差は減ります。 また日本経済新聞も海外版があるようなので それもとることができれば情報格差はかなり減ります。 とにかくインターネットの発明で情報差はかなり縮まっています。 日本への電話もペルーは日本に出稼ぎに行っている人が たくさんいることから1分50円以下というところがほとんどです。 ペルーは日系の大統領が生まれるくらいですから 日本との馴染みはかなり深いです。 インターネットでいえば、 日本語IMEをインストールすれば、こちらの オペレーションシステムでも日本語を見れたり 書けたりできるのでそれほど問題はありません。 ただ、スペイン語や英語のオペレーションシステムだと ホームページなどの言葉はきちんと見れるのですが、 「インストールしますか?はい、いいえ」 といったたぐいのものや、チャートの文字、 アイコンに書かれた名前などは 文字化けしてしまっています。 現在は安宿生活でインターネットカフェに行かなくては インターネットをできないので 日本の情報を集めるのはかなり苦労しています。 ただ、ネットカフェの費用や時間を惜しまなければ 日本にいるときとの情報格差は格段に縮まることでしょう。 それでは、今回はそんなところです。 次回お楽しみに!! ムーチャスエルテ メールマガジン 《 VAMOS 》          発行者:坂本英則 ===========★VAMOS 第47号★==========2003/10/09(木) 発行=========== ===========■メールマガジンへのご感想、ご質問をお聞かせ下さい■===== ==南米情報ムーチャスエルテのホームページにも気軽に遊びに来てください^0^== http://www.mucha-suerte.com/ ・・・・・・・・・・・・・・・発行者・坂本英則・・・・・・・ ご意見・ご質問・ご要望などは
hidenori1600@hotmail.comまでお願いいたします。
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