■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
□ / \ 南米情報ムーチャスエルテ・メールマガジン
■( 旅 ) ≪(^0^) VAMOS!!≫ VOL 57
□ \ // 2003/12/29(月)
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
☆☆☆ http://www.mucha-suerte.com ☆☆☆
♪南米情報ムーチャースエルテのホームページはこちらです♪
============================
★★★★★★★★★★…・も・く・じ…・★★★★★★★★★★
1.発行者挨拶 『 トルヒージョのチャンチャン遺跡!!』
2.更新内容
3.西語のことわざ 『 El que no llora no mama 』
4.終わりの挨拶 『 イキトスのニュースと偏見 』
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
□ 1 発行者挨拶 『 トルヒージョのチャンチャン遺跡!! 』
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
みなさん。こんにちは。
「 南米情報ムーチャスエルテ 」
http://www.mucha-suerte.com
の管理人の坂本英則です。
なかなかメールマガジンを発行できずに
いました。
よくいうスランプですね(笑)
ところで、クリスマスももう過ぎて、
あとは年末・年始を迎えるだけになりました。
今年一年をゆっくりと振り返りたいと
思うのですが、やらなければならないことが
あまりにも溜まりすぎて反省している時間がないといったかんじです。
溜まりすぎて
どこから手をつけていいのか、分からなくなっている状態です。
これは非常によくないことです。
私はやはり自分の行動をもう一度見直して
分析することが大切だと思っています。
人間は感情的ですから、その状況の中で
冷静なときでは考えられない選択をしてしまうものです。
そういった感情的になってしまった部分を見直すことができたらと
私は思っています。
ホームページについても、見直したという気分がいっぱいです。
一番の問題は、ホームページ内のリンクがうまくできていないことです。
内容が断片的に掲載されており、読者の方は
その内容を探すのが大変になっています。
サイトマップを作るなり、ホームページ内の
新しいリンクなどを作るなどの改善が必要だと思っています。
それでは、こんなくだらないことをいっていないで、
ユネスコ世界文化遺産のトルヒージョのチャンチャン遺跡の
話に移りたいと思います。
まずチャンチャンのあるトルヒージョですが、ペルーの首都リマから
パンアメリカンハイウェイを北に561km行ったところにあります。
ユネスコ世界遺産のチャンチャン遺跡の特筆すべきところは
神殿が10メートル程度の高さの日干しレンガでできた
外壁で囲まれていることです。
日干しレンガで神殿ができているのは
すでに紹介したモチェやシカンの文化と同じです。
ペルーの北部を支配した王朝の推移ですが、
紀元1世紀から750年くらいまではモチェ、
それからは1375年までシカン、
このチャンチャンを建設したチムーは
約850年からインカに支配される1470年まで続きました。
シカンとチムーは同じ時代に存在していますが、
シカンはチクラヨ、チムーはトルヒージョと
約200km離れたところに存在していました。
すでにお話ししたように、シカンはこのチャンチャンを建設した
チムーによって1375年に征服されました。
雨がほとんど降らないペルーの北部の
海岸沿いなので、日干しレンガで神殿は建築されました。
【 建築について一言 】
ペルーの南部や北部のアンデスでは日干しレンガでなく、
神殿は石で作られました。
インカやチャビンに代表されています。
それは、雨季が存在し、雨が多く降るだけでなく、
大きな地震に襲われることが何十年に一度あるという
理由から来ているのだと思います。
彼らは、祖先の記録、または口承から
何十年かに一度大きな地震がくることを知っており、
石組みがしっかりしていないと
地震によって建物が破壊されることをしっていたのでしょう。
したがって、神殿を作る
石組みの技術がアンデス地帯では発展したいったのだと思います。
自然環境が神殿の素材選択に大きく左右しています。
石組みで有名なものにチャビンではチャビン デ ワンタル、
インカでは、マチュピチュ、クスコの12角の石などがあります。
【 壁に囲まれた町 チャンチャンの広さ 】
町の広さは14平方キロメートルです。
単純に計算すると4kmの2乗の16平方キロメートルよりも
狭いので、随分と小さいと感じるかもしれません。
その中の6平方キロメートルが、神殿として
外壁に囲まれています。
外壁で囲まれている面積が何キロにも
及ぶわけですから、神殿の面積は
圧倒的な広さです。
【 ユネスコ世界遺産に登録 】
このチャンチャンが世界遺産に登録されたのは1986年の11月28日です。
壁に囲まれた世界で一番大きな町であるということが
登録された理由であると思います。
【 チャンチャンの名前の由来 】
チャンチャンの名前の由来は
はっきりとは分かっていません。
はじめの研究者たちは
この遺跡のことをチャンチャンと呼んでいませんでした。
チャンチャンは9つの神殿で構成されているのですが、
その中の一番大きな神殿
《 Gran Chimu 》グランチムーのことを
《 La Ciudad de Chimo 》=ラ・シウダー デ チモー ( チモーの町 )
と呼ぶことがありました。
チャンチャンという名前が登場したのは
1791年のことで、ペルーの雑誌Mercurio Peruanoでのことです。
この地帯の考古学上の遺跡からとったということです。
また昔の研究者の論文の中にトルヒージョから太平洋のワンチャコ海岸に
向かう途中の現在のチャンチャン遺跡の中の地帯に
硝石が取れる地帯にChanchanと呼ばれる場所があったそうです。
またErnest Middendorf(1892)は
このペルーの北部海岸沿いで話されていたMOCHICという
言葉のJAN JAN ( JANは太陽という意味です )
が派生したものがチャンチャンの名前の由来であると主張しています。
また、この説にはMOCHICはランバジェッケ(チクラヨ)でしか
話されていなかったという反論も存在しています。
【 チャンチャンの伝説 】
インカの伝説にビラコチャという男性が海から
カヌーに乗って現れて、インカの全ての文化を
人々に教えて、インカが興ったという伝承がありますが、
チムーの文化もそれと同じように
一人の男性が海からカヌーに乗って現れたことから始まります。
その男の名はTacaynamoといい、
その男がチムーを作ったと言われています。
【 チムーの存在した年代 】
チムーは紀元後約850年から1470年まで続きました。
滅びる原因になったのは
インカのPachacutecの子供Tupac Inca Yupanquiに
征服されて、インカの占領下に置かれたことです。
【 チムーの最盛期の領土 】
チムーは600年にわたって続いたわけですが、
強力な軍隊の力で、インカに征服されるときの
皇帝Minchancamanのときには、北は現在のエクアドル国境の
Tumbesから、南はペルーの首都リマまでの
1000kmに及ぶ地域を支配していました。
【 チムー王国の崩壊 】
チムーは偉大な征服者Minchancamanによって
北はエクアドル国境から南はリマまでの
1000kmに及ぶ地帯を支配しましたが、
インカ帝国のPachacutecの息子である、
Tupac Inca Yupanquiが3万人の兵士とともに
チムーに現れ、チムーはインカに降伏しました。
降伏したことから、町の略奪は免れました。
しかし支配者と、数百人にも及ぶ民芸品職人、
土器職人、金銀細工職人、織物職人はクスコに
連行されました。
Minchancamanの息子Chumun Caurは
王位を継ぐことを許されましたが、
クスコから来たその地方の統治を
任されたものが、チャンチャンの近くの
Valle Chicama ( チカマの崖 )の
Chiquitoy Viejo神殿にいたため、
次第にチャンチャンは荒廃し、
放棄されました。
【 チャンチャンの人口 】
チャンチャンの人口はKento Dayの研究によると
2万人から3万人。
退廃期には5千人から1万人。
チムーの勢力範囲の全てを含めると50万人だったです。
Middendorfの研究によるとチャンチャンには
10万人の人が住んでいたということです。
研究者によってかなりの差があることが分かります。
【 チャンチャンの略図 】
ナンバー8のパラシオ チュディ【チュディの城】のみ
修復作業がされており見学が可能です。
4のグランチモーに関しては
トルヒージョからワンチャコ海岸まで続く道が
横切っています。
8のパラシオ チュディ以外は
修復作業がされておらず
エル・ニーニョ現象の大雨の影響で
破壊されて原形をとどめていません。
・・・・・・・・・
・ ・
・ 4 ・
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
← Huanchaco海岸へ AV.Mansihe
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・・・・・・| ・ ・
・ 5 ・| ・ ・
・・・・ ・ ・| ・ ・
・ ・ ・・・・・・| ・・・・・・・・・
・ 6 ・ --------・・・・
・ ・ | ・ 7 ・
・・・・ | ・・・・
| ・・・・・・・・・
・・・・ | ・ ・
・ 3 ・ | ・・ 2 ・
・ ・ | ・ ・
・・・・ | ・・・・・・・
|
・・・・
・ ・
・・・ ・ 8 ・ ・・・・・
・ 9・ ・ ・ ・ ・
・ ・ ・・・・ ・ 1 ・
・・・ ・ ・
・・・・・
//////////////////////////////////////////////////////////
太平洋
//////////////////////////////////////////////////////////
【 チャンチャンの町 】
壁で囲まれた城の総面積は約6平方キロメートルです。
町は9つの城によってできており、
それぞれに新しい名前がついています。
また全ての城は非常によく似た構造をしています。
城の中の通路が制限されており、
中の構造物の縮尺が似ています。
【 チャンチャンの建設時期 】
チャンチャンの建設時期には
学者たちの共通の学説はなく、
9つ全ての城が同時期に建設されたというものから
王が死ぬと、その城は墓とされて、
新しい王が新しい城を建設したというものまであります。
日干しレンガから城の建設時期は分からないとしても、
その城の墓からでてきたミイラのDNA鑑定で
わかりそうなものですが
学者たちはそれぞれの学説がないと
学者としての存在価値がないと考えるのか
一致しないことが多いですね(笑)
【 シカンの影響を大きく受けている 】
発掘品から分かることはチムーは1375年に
支配した島田泉教授が発掘した黄金仮面で有名な
シカンの影響を大きく受けています。
王が現れるときには黄金仮面をつけて
王座の神輿に乗って現れていたところは
シカンと一緒です。
また、またモチェ発祥の人の首を切るための
大きなナイフ【 ツミ 】《 TUMI 》も
チムーで使われていました。
ツミに関してはモチェの時代からのものが
そのまま伝わったのか、シカンを征服したことで
シカンからそのことを学んだかは分かりません。
【 壁の装飾 】
壁の装飾には、海の波、魚、ラッコなどが
使われています。
また聖域への入場門には木製の偶像が
立てられていました。
今回のホームページのトップページは
チャンチャンのパラシオ チュディの
第一広場の木製の偶像の写真です。
今回ホームページで紹介しているチムーの遺跡は
チャンチャンではなく、チャンチャンのそばにある
チムーの神殿の写真です。
ひとつはワカ デ アルコイリス《虹の神殿》
または、ワカ エル ドラゴン《ドラゴンの神殿》
と呼ばれるもので、どちらの名前も
壁の装飾から名付けられたものです。
虹は雨と豊かな大地の象徴されていたそうで、
この虹が装飾されているワカは14つの貯蔵庫を持っています。
きっと収穫物を収めるために使っていたのでしょう。
【ペルー写真館 ワカ エル ドラゴン】
www.mucha-suerte.com/photo/huacadragon01.html#top
もうひとつはワカ エスメラルダ《エメラルドの神殿》
このエメラルドのワカの名前の由来ですが
後世の研究者がつけたもので、オリジナルの名前は
わかっていません。
神殿には、ひし形が多く壁に装飾されているのですが、
それは、漁で使う網を表しています。
このペルーの北部の海岸地帯は漁業で有名です。
このチムーでも漁業がされてきました。
葦でできた船に乗って漁業にでかけていた様子は
土器にも描かれています。
もしかしたら、このひし形をエメラルドとして
研究者は名前をつけたのかもしれません。
【ペルー写真館 ワカ エスメラルダ】
www.mucha-suerte.com/photo/huacaesmeralda01.html#top
それでは、今回はチャンチャン遺跡の概要を紹介しました。
次回はチャンチャンについて
見学が可能なPALACIO TSCHUDI【 チュディの城 】の
紹介を兼ねて、もう少し掘り下げていこうと思います。
それでは次回お楽しみに!!
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
□ 2『 ホームページの更新内容 』
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
今回のホームページの更新内容です。
★☆★ ペルーの料理の紹介 ★☆★
【 Arroz con pato 】
アロス《ARROZ》はご飯のことで、
コン《CON》はWITH、パト《PATO》はアヒルのことで、
アルロス コン パトとはアヒル定食というかんじでしょうか。
お米は野菜と一緒に煮込むことで 緑色をしています。
また一緒にニンジンが入っています。 こちらではアヒルを食べます。
アロス コン パトはチクラヨでは郷土料理と言われています。
www.mucha-suerte.com/comida/arrozconpato.html#top
【 鹿の肉 】
鹿は初めて食べたのですが、どちらかというとチキンに似た味がしますが、
肉がチキンより引き締まっているかんじがします。
今回は煮込み料理だったので、
本来の肉の味が分からなかったというかんじです(笑)
www.mucha-suerte.com/comida/venado.html#top
【 Milanesa de Pollo 】
ミラネッサとは、日本のカツによく似た調理法で、
タマゴとじの衣で肉を揚げたものです。。
ミラネッサは有名ではあるものの、なかなか見にしません。
www.mucha-suerte.com/comida/milanesadepollo01.html#top
★☆★ ペルーの名所の紹介 ★☆★
【 チャチャポヤス 】
ミニモアイのサルコファゴや、
ペルー北部のマチュピチュへの観光への
起点となるチャチャポヤスの町と
上記の観光地への具体的な観光情報を書いてみました。
www.mucha-suerte.com/ciudad_peru/chachapoyas.html#top
www.mucha-suerte.com/ciudad_peru/chachapoyas2.html#top
★☆★ 南米旅の写真館 ★☆★
【 死者の町 】
Karajiaのミニモアイ。サルコファゴは紹介しましたが
今回は死者の町のサルコファゴの紹介です。
www.mucha-suerte.com/photo/losmuertos01.html#top
www.mucha-suerte.com/photo/losmuertos02.html#top
【 メンドーサのコロニアルな家の紹介 】
チャチャポヤスにある、
チャチャポヤスをスペインからの独立に導いた
メンドーサの家の紹介です。
チャチャポヤスはスペイン人宣教師がペルーで
初めて訪れた土地であるそうで、
現在までの司教の肖像画がなどが飾られています。
www.mucha-suerte.com/photo/mendoza01.html#top
【 チャチャポヤスの町の紹介 】
標高2000メートル以上のアンデスの高地にある町
チャチャポヤスの町の写真の紹介です。
/www.mucha-suerte.com/photo/chachapoyas01.html#top
★☆★ ペルーのツーリストビザの更新 ★☆★
【 チクラヨでのツーリストビザの更新 】
チクラヨでのツーリストビザの更新情報をまとめてみました。
www.mucha-suerte.com/frontera/chiclayo01.html#top
★☆★ ペルーの働く子供たちの紹介 ★☆★
【 テレホンカード売り リンダちゃん 】
リンダちゃんはペルーの北部の商人の町として
有名なチクラヨのアルマス広場の近くの路上で
テレホンカードを売って働いています。
リンダちゃんは緑色の美しい目をしています。
リンダちゃんは道行く人に『タルヘッター』
(テレホンカードのこと) と大きな声をだして、
テレホンカードを売っています。
目だけでなく、性格も非常にかわいくて
ついつい使いもしないテレホンカードを買ってしまいました。
一生懸命働いている子供がいると、
ついついいつもは固い財布からお金がスルスルとでてしまいます。
ちなみにリンダちゃんはお姉さんとお母さんと一緒に働いています。
www.mucha-suerte.com/children/linda01.html#top
【 お菓子販売 ルイス君 】
ルイス君はチクラヨからハエン方面に向かう
ドライブインの前でお菓子を売って働いています。
チクラヨから約3時間ほどの地点です。
こちらでバスの旅をしていると、
バスが停まるドライブインなどでは売り子さんがバスの中に入ってきます。
ジュースやお菓子や軽食をバスから降りずに
買うことができるのでなかなか楽なシステムです。
ルイス君は外見的になんだか味があって、
愛嬌があったのでお菓子を
食べたいという欲求はなかったのですが、 1袋買いました。
『何のために働いているの?』と尋ねると『
母親を助けるため』と言っていました。
偉いと感心した私は小銭のある分だけ
ルイス君からお菓子を追加で買いました。
www.mucha-suerte.com/children/luis01.html#top
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
□ 3 西語のことわざ『 El que no llora no mama 』
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
これを訳すと泣かない子は
乳をもらえないとなります。
これは自分の気持ちを表現しなければ、
相手に気持ちが伝わらないと解釈してよいと思います。
私のイキトスの友達にこのことわざの用例を
何か挙げてみてと頼んだところ
3つほど話がでました。
1つ目はもしも仕事が欲しかったら、
自分がどれだけのことができるか訴えるといっていました。
こういう自分の生活環境だからこれだけのお金が欲しい。
これだけのことができるから、この仕事をやるのにふさわしいと
いうべきであるといってみました。
2つ目はこのアマゾン河の河口の町イキトスらしく、
カヌーの話をしていました。
もしも、町から家に帰るとき、5人乗りのカヌーが
出発するところで、すでに満席になっていて
カヌーに乗るのを拒否された。
それでも、自分の立場を主張すれば乗せてもらえることも
あるので乗りたいという意思を主張すべきだといっていました。
3つ目は、もしも学校の試験で赤点をとって
先生が追試はしないといったとしても
自分がなぜ試験で点数がとれなかったかを主張すれば
もう一度試験を受けさせてくれる。
これらの3つのことを例に挙げてくれました。
こちらは個人主義の社会なので
日本とは人の尊重のしかたが違います。
自分の本当の気持ちよりも、言葉や表現に出したことのほうが
相手に伝わります。
こちらでは、自分で気持ちを表現しなければ分かってもらえないと
思って間違いはないでしょう。
日本では口でいわざるとも、相手が自分の感情を察してくれる
ということがありますが、
こちらでは、なかなか自分の気持ちを察してくれません。
例えば、悲しい顔をしていたら、
日本人ならその理由を察してくれますが、
こちらの人なら「 どうして悲しいの? 」て
尋ねてくるでしょう。
いちいち理由を言わないと分かってもらえません。
分かりづらいことを書いているので
例をあげましょう。
現在私がいるイキトスはアマゾン河の河口の町で
ジャングルツアーが有名です。
ツーリストは、ジャングルで動物を見たり
バードウォッチングをしたり、
ピラニアを釣ったり、
アマゾン河にしかいないピンクイルカを見たり
原住民(完全に観光化されている=笑)の町を
訪れたりできます。
私が現在泊まっているイキトスのホテルレイディーには
フリオというジャングルツアーの客引きの親父がくるのですが
この客引きの親父一人とっても、
文化の違いを実感します。
彼の目的は私を勧誘して、旅行会社から
コミッションをもらうことです。
彼の口癖なのですが、
『 Que quieres hacer? 』
= お前は何をしたいんだ?
なのです。
フリオの相手の気持ちの尊重の仕方は
その人のやりたいことを
第一にするということなのでしょう。
要するに、私のやりたいことを優先的に
考えて旅をアレンジできるということをいいたいのでしょう。
しかし、情報不足から
私はイキトスのジャングルで何ができるかということを
わかっておらず、
何をしたいといえる段階ではありませんでした。
私は彼にここで何ができるか教えてくれ。
特に写真を見せてもらえると分かりやすいので
写真を持ってきてくれといったのですが、
写真を持ってくることはありません(笑)
たびたび、部屋に来るものの
『 Cuando vas a selva? 』
= いつジャングルにいくんだ?
しかいってきません。
彼はかなり『 EL que no llora no mama 』 をしています。
彼は旅行会社を斡旋できると私に自己主張していますから。
人の気持ちを察っしようという日本の文化と
相手の言ったことを優先しようというこちらの文化は
随分と違います。
日本では『以心伝心』 という言葉があります。
私自身この言葉の意味をはっきりとは理解していませんが、
言わざるとも、伝わるというニュアンスもあると思っています。
こちらでは、その逆といえるでしょう。
言葉でいわないと伝わらないといったところでしょうか。
私は日本が人の気持ちを察するという特殊な文化を
持っているのは、人を怒ったり、
しかったりする文化があるからだと思っています。
こちらは、体罰はタブーです。
子供がどんな悪いことをしても、
体罰や、罵声はまず与えられることはありません。
体罰というと言葉は
悪いですが、日本の場合は体で覚えさせるということを
実践しているので、相手の気持ちを察するような
感覚が生まれているのではないかと思っています。
人の気持ちを害することをして
そのことが悪いことであるということを体や、心の痛みで
感じないとなかなか相手のことを考えるようにならないのでは
ないかと私は考えています。
もうかなり前から体罰をはじめとした
叱るという文化が日本からなくなってきているので
これから日本も欧米のように
自分で言わなければ分かってもらえないような
環境になっていくのでしょう。
100年後には『 El que no llora no mama 』という
ことわざにピンとくる日本人が現れるかもしれません。
蛇足的に書きますが
人を叱るというのは悪いことのように
思われていますが
私は叱るというのは
非常に勇気のいる行為だと思っています。
ただ、気分を害して怒るというのは
よくないことですが、
叱るというのは、相手のこれからのことを
考えて、相手がこれからよりよい人間関係を
築いていくために
その人に忠告をすることです。
私が大学の寮に入っているときに、
佐伯さんという先輩がおり、
私たちはよく叱られていました。
正直言ってはじめのうち、あまりよい印象を持ちませんでした。
しかし、何ヶ月もたち佐伯さんの
心中を知りました。
佐伯さんは自分の憤りから
怒っていたわけではなかったのです。
組織のために自分を犠牲にして
後輩たちに活をいれていたのです。
寮の部屋でみんなで集まって飲んだある日の
もう朝方近くだったでしょうか。
佐伯さんはこういっていました。
『 正直なところ、俺だって後輩に嫌われたくない。
だから、もちろん後輩を叱りたくないよ。
けれど、寮は組織だから、だれかが
憎まれ役をやらなければ組織として
働かないんだよ 』
佐伯さんはそれだけでなく、
いつでも後輩のためを思って
たびたびお酒をご馳走してくれたり、
女性を紹介してくれたり(笑)
してくれました。
私はそんな佐伯さんの内心を知らず
はじめ、佐伯さんにあまり印象を持たなかったことを
恥ずかしく思います。
とにかく、叱るには愛が必要ということでしょうか。
全然関係ないですが、自分の体験談をしてみました。
今回のことわざについてまとめると
物事には全て一長一短ありますが、
とにかく、私のいいたいことは
人の感情を害さないどころか、気持ちをよさを与える
日本の相手を気遣い文化というのは素晴らしい文化だと
思うということです。
またもちろん、主張することは大切です。
いわなければいけないこともあるし、
相手の気持ちを察するというのも
どちらも大切です。
大切なのはバランスになりますが
それが一番難しいですね。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
□ 4 終わりの挨拶 『 イキトスのニュースと偏見 』
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
みなさん。こんにちは。
坂本英則です。
私は現在ペルーのアマゾン河の
上流の町イキトスにいます。
イキトスという町を耳にしたことが
あるかたは、大学生がイキトスで警察に
殺害されたというニュースからというのが多いと思います。
このニュースからだけだと、イキトスという町は
警察官が悪さを働くほどだから、
相当治安の悪い町ではないかと思うでしょう。
実は私もイキトスに行く前は
イキトスはジャングルツアーに行くツーリストが多いので
ツーリスト狙いの強盗がかなり多いのではないかと思っていました。
しかし、実際来て見ると
自分の偏見とは全く違っていました。
非常にのどかな町といったかんじです。
人口は35万人いるそうなのですが、
人口が多いわりには平和な町と言った印象です。
夜の10時くらいまで、道でサッカーをしている子供たちはいるし、
夜中の12時を過ぎても、子供は外を歩いているし、
24時間営業のインターネットカフェはあるし
犯罪の気配は全くありません。
24時間のインターネットカフェといっても
通信スピードが遅く、最高速で10k/秒といったかんじです。
衛星を使って通信しているそうで、雨が降ると
回線が停止します(笑)
これがかなり困りもので、いつも
私にとって一番大切な日本時間の朝9時、
こちらの午後7時ごろには雨が降って
通信できなくなります。
けど、まわりの人はぶつぶつ文句をいいません。
こちらの人はこれが当たり前と思っているのでしょう。
横道にそれましたが、治安の話に戻りましょう。
とりあえずこのイキトスの住民もイキトスは犯罪がないと自慢するくらいです。
また他のイキトスの話をすれば、
日本の夏の夕立のような現象が毎日起こります。
ほとんど毎日雨が降るのにここでは、
まず傘を見かけることがありません。
私にとってはこれが不思議でなりません。
なぜ毎日雨が降るのに誰も傘を持っていないのだろう?と。
たしかに、雨は2時間程度でやみますが
その時間はみなお店の中に入ったり、
雨に濡れながら歩いている人もいます。
どちらかというと、小雨なら
みなが普通に歩いています。
私は雨に濡れるということに慣れていないので
雨に少しでも降られて体が濡れると
非常に不快になります。
しかし、こちらの人は濡れることにあまり抵抗がないようです。
小さいころから、そしてまわりもそうだから
雨に濡れるということは日常のこととなっているのでしょう。
雨にちょっと濡れるだけで非常に気分を害する私は
雨に濡れることなど、全然気にしないイキトスの人たちが
非常にうらやましく感じます。
ところでイキトスのイメージとしては
暖かいフルーツが実る南国といった印象です。
私の友達の家には、パパイヤとか、ココナッツとかの
木が生えていて、それができたら食べるという
うらやましい生活を送っていたりします。
南国はいいなとうらやましくなりました。
まとめるとイキトスで少々生活してみて
ニュースで聞くのと、実際では随分と印象が違うということを
思い知りました。
ところで、話は全然変わりますが
旅にでてから一年が経過しました。
いつも読んでいただいている
読者のみなさんに感謝しています。
非常に励みになっています。
それでは次回お楽しみに!!
ムーチャスエルテ メールマガジン 《 VAMOS 》
発行者:坂本英則
===========★VAMOS 第57号★==========2003/12/29(月) 発行===========
===========■メールマガジンへのご感想、ご質問をお聞かせ下さい■=====
==南米情報ムーチャスエルテのホームページにも気軽に遊びに来てください^0^==
http://www.mucha-suerte.com/
・・・・・・・・・・・・・・・発行者・坂本英則・・・・・・
ご意見・ご質問・ご要望などは
hidenori1600@hotmail.comまでお願いいたします。
|