モアイの誘い ムーチャスエルテのジフ
ムーチャ・スエルテはスペイン語で『がんばって』という意味です!!

ムーチャスエルテのメールマガジン
VAMOSの履歴です

トップページに戻る
前回へ メルマガの目次へ 次回へ

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
□  / \ 南米情報ムーチャスエルテ・メールマガジン
■( 旅 )  ≪(^0^) VAMOS!!≫   VOL 58
□ \ // 2003/12/31(水)
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
  ☆☆☆  http://www.mucha-suerte.com  ☆☆☆
♪南米情報ムーチャースエルテのホームページはこちらです♪
============================
ページトップへ トップページに戻る
★★★★★★★★★★…・も・く・じ…・★★★★★★★★★★ 1.
発行者挨拶 『 トルヒージョのチャンチャン遺跡2!!』 2.更新内容 3.西語のことわざ『Un grano no hace granero pero ayuda al compan~ero』 4.終わりの挨拶 『 今年を振り返り、来年を見る 』
このメルマガの目次へ メルマガの目次へ トップページに戻る
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ □ 1 発行者挨拶 『 トルヒージョのチャンチャン遺跡 2!!  』 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ みなさん。こんにちは。 「 南米情報ムーチャスエルテ 」 http://www.mucha-suerte.com の管理人の坂本英則です。 今回は前回の続きです。 トルヒージョのチャンチャン遺跡について もう少し詳しく話そうと思います。 チャンチャン遺跡はペルー北部海岸沿いの トルヒージョを中心に栄えたチムー王国の 遺跡で、1986年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。 チムーが存在した時代は紀元後850年から1470年です。 インカ帝国がチムーを征服するまで続きました。 チャンチャンの概要についての確認は 前回のメールマガジンからできます。
www.mucha-suerte.com/merumaga/2003.12.29.html#0 それでは、今回はチムーの経済や宗教、そして チャンチャンの9つの神殿の一つ、チュディの神殿の紹介をしたいと思います。 【 チムーの経済 】 私はチムーの経済の主体は漁業ではないかと思っていましたが、 文献によると、農業が主体になっていたそうです。 灌漑用の水路も作っていたし、地下の濾過作用さえも 利用していました 栽培されていた農作物は、 【 野菜 】ユカ、豆、サツマイモ、落花生、 トウモロコシ、カボチャ、アヒー 【 果物 】ルクマ、チリモジャ、セイヨウスモモ、アボガド などが栽培されていました。 またTOTORA ( 葦で作られたカヌー )を作るために 葦も栽培されていました。 漁業、狩猟、牧畜は農業の次に重要とされていました。 《 お金は使われていなかった 》 お金が使われることはなく、物々交換《intercambio》で 物品の交換は行われていました。 《 民芸品の重要性 》 チャンチャンには織物を作る工場まであり、 織物は自分たちで利用するだけでなく、 織物は他の国と物々交換に出されました。 【 チャンチャンで使われていた言葉 】 チャンチャンの支配していた領土では いくつかの言葉が話されていました。 (一言メモ): ******** 「 Lengua 」《 レングア 》とはスペイン語で「 言葉 」という意味です。 ******** 《 Lengua Sec 》 Tallanaとしても知られています。 ツンベスやピウラの国境地帯で話されていました。 《 Lengua Muchic o Yunga 》 17世紀の記録によると北部ペルーで40000人ほどに話されていたそうです。 他にも 《 lengua Quingnam 》,《 Lengua Pescadora 》,《 lengua Olomos》 などが話されていました。 一つの王国の中でいくつかの言語が混在していたわけです。 【 チムーの宗教 】 宗教はチムーにとって 統治を助ける重要な役割を負っていました。 チムーのほぼ全ての建築物は 宗教的な儀式の機能を持っています。 《 月が一番重要な信仰対象だった 》 チムーにとって一番の信仰の対象は《 月 》でした。 月は《 SI 》と呼ばれていました。 チムーでは、月は太陽よりも力を持っていると考えられていました。 その理由としては太陽は昼間しかみることができないが、 月は昼でも、夜でも見ることができるという理由からです。 月が見えないときには、あの世で泥棒を懲らしめていると 考えられていました。 《 皆既日食を祝う》 皆既日食は月が太陽よりも力を持つ証拠として 祝われていました。 また月は漁師の守り神でもありました。 《 星も信仰の対象だった 》 星も信仰の対象とされていました。 チャンチャンの住民たちは祖先が星になったと 信じていました。 大きく輝く星は、高貴なものが源となった星とされ その一方で小さく輝きのないものは 卑属なものが源となったとされました。 3つの連なった星がシンボルとなっている オリオン座のPATAは、中心は泥棒であり、 横の2つはそれを追う者であるとされていました。 それらは泥棒を捕まえて、ヒメコンドルのもとまで 送り届けるように仕向けたとされています。 また、月以外にも、 海《 Ni 》や 神の石《 Alaecpong 》なども 崇拝していました。 同じように、初期の先祖のミイラにも 特別な崇拝があったようです。 それでは、チャンチャンの9つの神殿のうちのひとつ PALACIO TSCHUDI《 チュディ神殿 》の話に移ります。 私ははじめ、チュディの神殿というくらいなので きっと、チュディという王がいて、その王が 利用していた神殿であったという理由で チュディ神殿と名付けられたのかと思いました。 しかし、この神殿の名前はJohan Jacob Von Tschudi(1818〜1889)という アンデス研究で名高いスイス人の男性の名前から チュディ神殿と名付けられたそうです。 【 チュディ神殿の主な建物10の紹介 】 チュディ神殿には大きく分けて10の主な建築物が存在します。 ********************【 チュディ神殿の略図 】 ******************** ・・・・・・・・・・・・【1】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・                           ・ ・  ・・・・・・・・・・・・・                 ・ ・  ・           ・  ・・・・・          ・ ・  ・・・         ・  ・   ・          ・ ・  ・ ・         ・  ・   ・          ・ ・  ・ ・  【2】     ・ ・【10】・          ・ ・ 【3】 ・   ・ ・   ・          ・ ・  ・ ・         ・  ・・・・・          ・ ・  ・ ・         ・                 ・ ・  ・ ・         ・                 ・ ・  ・ ・・・・・・・・・・・                 ・ ・  ・・・・・・・・                      ・ ・  ・      ・                      ・ ・  ・  【4】  ・                      ・ ・  ・      ・      ・・・・・           ・ ・  ・      ・      ・【5】 ・           ・ ・  ・・・・・・・・      ・・・・・           ・ ・            ・・・・・・・・・・・         ・ ・            ・         ・         ・ ・            ・         ・         ・ ・            ・    【6】  ・         ・ ・            ・         ・         ・ ・            ・         ・         ・ ・            ・         ・         ・ ・            ・         ・         ・ ・             ・・・・・・・・・・・         ・ ・  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・ ・  ・                    ・   ・       ・ ・  ・       【7】           ・   ・  【9】  ・ ・  ・                    ・   ・       ・ ・  ・                    ・   ・       ・ ・  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   ・・・・・・・・   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・                    ・・・・・・・・・      ・ ・                    ・       ・      ・ ・                    ・       ・      ・ ・                    ・  【8】   ・      ・ ・                    ・       ・      ・ ・                    ・       ・      ・ ・                    ・       ・      ・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ **************************************************************************** (1)【 Entrada Unica 】 《 唯一の入り口 》 神殿の特徴の一つとして、北側に一つしか入り口がなく 重要な人物以外は入ることはできませんでした。 入場は制限されており 庶民は神殿の外に住んでいました。 神殿の安全のために、神殿の外側には1500メートルにも 及ぶ10メートルの高さのある壁が建設されていました。 また壁は庶民と高貴なものを隔てるものでもありました。 神殿の内部には門は建設されていませんが、 内部のことを保持するため、《 唯一の入り口 》から 個々の場所へは直接には行くことができません。 (2)【 Primera Plaza Ceremonial 】 《 第一儀式広場 》 宗教的な儀式がなされていた場所です。 入り口のそばにある理由としては 王国の来賓がくることを 考えて設計されたといわれています。 広場の南側にも入り口があり、その中には チムーの王座が据えられています。 広場の真ん中には、偶像や供え物、 生贄とされた人やリャマなどの動物が置かれたそうです。 また広場を囲む壁の全面に【 Nutria marina 】《 ラッコ 》と 海を表す水平の線が描かれています。 (3)【 Corredor de Peces y Aves 】《 魚と鳥の廊下 》 魚と海鳥が壁の全面に描かれていることから この二つを大切にしていたことがわかります。 魚と上へ、そして下、上へ、下へと 段差の中を動いています。 これは、波が高くなったり、低くなったりすることを 表しているといわれています。 (4)【 Sala del Altarcillo 】《 祭壇の部屋 》 ここは、第一広場で行う儀式のリハーサルを 行う場所だったようです。 入り口が第一広場に通じています。 北の壁と一体となっている小さな祭壇は 偶像を置いていたと考えられています。 1997年の発掘作業で、供え物が見つかり ここが宗教的なことに使われていたことが確認されました。 (5)【 Audiencias 】《 アウディエンシア 》 ここは農作物や、民芸品などの税を決める 機関として使われていました。 また建物の下に生贄が発見されました。 彼らは建物のために生贄にされました《人身御供》。 壁の装飾には、様式化されたペリカンや、海鳥、 魚などが施されています。 (6)【 Segunda Plaza Ceremonial 】 《 第二儀式広場 》 構造的な特徴としては、【 Plaza Principal 】と 同じですが、サイズが小さく、 神殿の住むものだけが参加する集会に利用されていたようです。 その理由として、神殿に住む政府の関係者の住居に近いことが 挙げられます。 (7)【 Reservorio Ceremonial 】 《 儀式用貯水池 》 チャンチャンの全ての神殿の中では地下ですでに 濾過された水を持つ100以上の貯水池が発見されています。 この貯水池の利用のされ方については3つほどの 見解があります。 1.葦製のカヌー《 Caballito de Totora 》の   材料となる葦を育てる場所であった。 2.レジャー施設であった。 3.水に映った満月を見る宗教的な儀式のために使われていた。 (8)【 Plataforma Funeraria 】 《 葬儀壇 》 支配者の墓として建設されました。 支配者は、葬式から5日後にここに葬られたようです。 ミイラは墓の中心に織物や土器、金属製品、 貝などと一緒に墓の中心に葬られていました。 またそのまわりに42の小部屋があり、 支配者の身の回りを管理する使用人、 支配者の妻や妾などが生贄として 葬られていました。 (9)【 Almacenes 】《 倉庫 》 食料の貯蔵に使われていました。 神殿の中には200個の倉庫があります。 (10)【 Sala de las 24 Hornacinas 】 《 24の壁龕(へきがん)の部屋 》 *壁龕(へきがん)とは聖像を祭るための壁のくぼみです ここでは月に関する儀式を行っていたといわれています。 24の壁龕の中には偶像が祀られていました。 この部屋には4つの入り口があり、 24の壁龕とあわせると28になり、 これは月の満ち欠けの周期に一致しています。 他の見解としては、壁龕に人が座り 会議をしていたというものです。 以上が【 Palacio Tschudi 】《 チュディの神殿 》の紹介です。 またチャンチャンの近くの【 HUANCHACO 】《 ワンチャコ海岸 》 についてですが、ワンチャコ海岸はモチェの時代から 漁業で使われていた葦でできた船 【 Caballitos de Totora 】《 カバジートス デ トトラ 》で有名です。 現在の海岸の名前は【 HUAYCOCHA 】という言葉に由来しています。 この言葉の意味は《 黄金の魚の湖 》という意味です。 このHUAYCOCHAからHUANCHACOと 呼ばれるようになったのではないかという説と この地帯の漁師たちは漁にでるときに、 【 HUANCHACO 】と呼ばれる赤い鳥のように 胸を赤く塗りました。 そして、彼らは【 HUANCHAQUEROS 】と呼ばれるようになりました。 このことからこの海岸が【 HUANCHACO 】と呼ばれるようになったのでは ないかと言われています。 これでチムーの文化の紹介は終わりです。 次回は2004年になりますが、 トルヒージョには モチェの神殿でエル・ブルッホというのがあります。 それをホームページで取り上げるので ひさしぶりにモチェの復習をしてみようと思います。 またモチェの神殿エル・ブルッホに行く途中で出会った 若いころよく盗掘していたというタクシーの運ちゃんとの 会話なども交えて書いていきたいと思います。 庶民の盗掘がどんなものだったかということを 知ることができます。 それでは次回お楽しみに!!
このメルマガの目次へ メルマガの目次へ トップページに戻る
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ □ 2『  ホームページの更新内容 』 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ 今回のホームページの更新内容です。 ★☆★ 南米旅の写真館 ★☆★ 【 チャンチャン遺跡 】 上記で紹介したチャンチャン遺跡のチュディの神殿を 紹介する写真集です。全部で3ページあります。
www.mucha-suerte.com/photo/chanchan01.html#top www.mucha-suerte.com/photo/chanchan02.html#top www.mucha-suerte.com/photo/chanchan03.html#top 【 チャンチャン博物館 】 チャンチャン遺跡の発掘品の紹介です。 シカンで紹介した黄金仮面の影響を受けている銅製仮面や モチェの影響の受けている大きなナイフ《 TUMI 》などが 展示されています。 www.mucha-suerte.com/photo/museodechanchan01.html#top 【 ワンチャコ海岸 】 上記で紹介したワンチャコ海岸の写真です。 葦でできている紀元後100年からあったという カバジートス デ トトラを見ることができます。 www.mucha-suerte.com/photo/huanchaco01.html#top
このメルマガの目次へ メルマガの目次へ トップページに戻る
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ □ 3 西語のことわざ『 Un grano no hace granero pero ayuda al compan~ero 』 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ これを訳すと一粒では穀倉はできないが 友を助けるとなります。 日本のことわざは「 チリも積もれば山になる 」 と一粒で積もれば穀倉になるといっています。 今回のスペイン語のことわざはこの日本のことわざとは ちょっと違います。 今回のスペイン語のことわざは 恵まれないものを助けるというキリスト教、 カトリックといったほうがよいかもしれません。 が根本にあると思います。 こちらの人にこのことわざのいいたいことは何かと尋ねてみたら 町の物乞いの人を例にあげてたった一粒でも、 一人一人が恵まれない人にあげれば その人を助けることができるといっていました。 私は日本で物乞いをしている人を見たことがありません。 しかし、こちらは非常に物乞いをしている人が多いです。 また先天的にも、後天的にも奇形の人が多く 社会保障が全くないという現状からでしょうか 町で物乞いをしている人が非常に多いです。 親子で路上に座り、空缶を片手に物乞いをしている人も見かけます。 日本には物乞いの文化はありませんが こちらの人は恵まれない人に 小銭をよくあげているようです。 こちらには恵まれない人に小銭を分け与えるという 文化が存在しています。 今回のことわざはキリスト教の博愛の精神から きていることわざではないかと思っています。 一人一人の博愛精神が人を助けることにつながるという 崇高なことわざだと思います。
このメルマガの目次へ メルマガの目次へ トップページに戻る
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ □ 4 終わりの挨拶 『 今年を振り返り、来年を見る 』 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ みなさん。こんにちは。 坂本英則です。 これから更新履歴を見ながら ホームページの今年を振り返って見ようと思います。 《 こちらにきてから具体的な記事が増えた 》 2002年の12月17日に日本を出発したわけですが、 それからはこちらで取材した内容を更新するという作業に なったため、主観的な日記を中心のページから 客観的な情報である写真を多く取り入れた ページに変わってきました。 数字や写真というのは非常に客観的な情報であると私は考えています。 『 百聞は一見に如かず 』ということわざがあるように 口で説明するよりも写真を一回みせてしまったほうが相手に伝わると 私は考えています。 ですからホームページに写真を多く取り入れるようになったのは 非常に大きな前進であると私は考えています。 《 写真から映像メディアへ 》 現在私のホームページは約170MBの容量があります。 私のホームページにコンピューターで何枚の写真が入っているか調べたところ 3899枚の画像が入っていることがわかりました。 また、私は写真のもっと画質のよいものや 映像や音をもっとホームページに使いたいと考えています。 やはり視覚だけではなく、そのものや、人が持つ 雰囲気も私は伝えたいと考えるからです。 しかし、映像はかなりの容量を必要とするため なかなかホームページにのせるのは難しいかもしれません。 現在サーバーには年に6万円払っているのですが 容量は250MBまでです。 私としてもっと映像を入れたいのですが 映像は容量をかなり必要とするため 残りの容量を使ってしまうことでしょう。 映像をもっと取り入れたいのであれば サーバーの移転を考える必要があります。 これから、少しづつ自分にあったサーバーを 考える必要があると思っています。 映像でこちらの様子を伝えることができたら なんと面白いことになるだろうとワクワクしています。 《 1月の下旬からのメールマガジンの発行開始 》 メルマガの発行を始めたのはかなりの大きな前進でした。 メルマガは正直なところ、あまりにもホームページを 見る人が少ないのでホームページの存在をみなさんに 知っていただくという意味で発行することにしました。 メルマガは全てが文字情報であり 写真の助けを借りることができないという、 作成するのは数時間かかるという非常に大変なものです。 しかしながら今年はこれを入れて58回発行することができました。 はじめるころは週2回程度発行できるとよいと思っていましたが、 平均すると週1回の発行になっています。 発行が少ない原因としては、やはり自分自身が素人であり 文章を書くテクニックを 持ち合わせていないというところにあると思います。 私が反省していることに 今年はメモのとり忘れが非常に多かったというのがあります。 量的には例年と比較にならないほど多かったのですが 思いついたことや教わったことをメモしなかったことが 非常に多く、後になって忘れてしまったということが 非常に多い一年でした。 また、ただ単にメモ帳に書き込むというのではなく メモの取り方を考える必要があると思いました。 メモを取っていたら メルマガの題材などがすぐに見つかり いつも以上に早く文章を作成できるのではないかと思っています。 また題材の組み合わせなども 簡単にできて、効果的に メルマガやホームページを 作ることができるのではないかと思っています。 《 ホームページの修正が多すぎた 》 ホームページのできたものを直すという作業に 最近は非常に時間がかかりました。 ホームページを作っていくうちに 以前のページは見づらいと自分で感じることが多かったからです。 同じコラムであれば、同じ大枠を使い内容を 書き換えてホームページを作るのですが その大枠の作りが良くないものが多かったなと思っています。 はじめの大枠がよければ、1ページ毎に修正する手間は いらなかったわけです。 今回の修正作業で感じたことは はじめの大枠の作りが一番大切であるということを感じました。 私のホームページでは《 フレーム 》=  「 ホームページ閲覧ソフトに 複数のページを同時に見させる機能 」を使っていません。 ですから、一枚を修正することで全てを修正することには ならず、一つの間違いが全てに及んでいます。 ですからはじめの骨格作りは 時間を置いてじっくりと作るということが大切であることを 実感しました。 《 ホームページの内容 》 ホームページの内容の反省点としては なんといっても、1年間こちらにいたのにかかわらず、 情報がエクアドル、コロンビア、ペルーに偏ってしまったことです。 南米情報と書かれているのにかかわらず、この3ヶ国以外の情報は 非常に少ない、または全くないという状態になってしまっています。 このままでは南米情報と名乗る資格はないでしょう。 詳しくのせるというのも大切なことですが、 南米をトータルで考えることができるページ作りも 各国の比較ができるので大切なことです。 これからは南米の様々な国の紹介をできるとよいと考えています。 《 まとめ = 体調管理が一番大切 》 実は今年一年で自分が非常に苦労したのが 体調管理です。 やはり年をとったせいか(笑) 今回の旅では前回全く考えなかった体について考えるようになりました。 これは別に風邪をひきやすくなったとか、 大病にかかったというわけではなく よい仕事をするには 環境が大切であることを実感したということです。 私は前回の旅から帰って 2001年の7月から2002年の12月の約1年半を実家で暮らしました。 実家ではいつでも温かいお風呂に入れるし、 おいしい食事は食べれる。 トイレはオシュレットで清潔。 好きなときにタバコを吸える。 コーヒーを飲める。 ケーブルテレビでいろいろな番組を見れる。 インターネットは速いという その当時は実感しませんでしたが かなりよい環境でした。 両親に感謝です。 それが、出発してからエクアドル到着初日に200円の宿になり 汚い。寒い。虫はでる。 夜寒いけど温かくておいしい飲み物は飲めない。 食事は貧弱。 インターネットはネットカフェに行かなくてはならないし 日本語は打てない、しかも遅いなど 生活環境が180度変化しました。 実際大学を卒業してからの 2年間はこのような環境で暮らしていても 別に不便に感じたことはありませんでした。 それというのも自分の住んでいた寮が二人部屋であり、 トイレは共同、風呂は週に4回は寮の風呂は入れるが、 週に3回は銭湯。 普段はお湯は出ないので、 真冬でも水道の冷たい水で朝シャンするという 不便な生活に慣れていたため、ギャップが少なかったのでしょう。 しかし、今回はあまりにもギャップが大きすぎて 苦しみを感じました。 特にインターネットの苦しみは大きかったですね。 とにかく遅い。1kb/秒とかの世界ではインターネットをやる気には なりません。しかし、やらなくては生きていけないという現実がありますから やらねばなりませんでした。 もちろん回線が遅いというのは最大のデメリットです。 前々回のホームページのアップロードとメルマガの発行はなんと 3時間かかりました。通信速度の速いところなら 15分でできるものを180分の12倍の時間をかけてやるわけですから 労働費が無駄に使われています(笑) 【 部屋の汚さを改善する苦しみ 】 今回の旅もとにかく汚い宿ばかりに泊まったように感じます(笑) とにかく、宿泊費という固定費用を安くあげようという 魂胆です。 しかし、安宿は掃除はが 行き届いていなかったり、 宿自体も年月が経っているので 普通の神経の日本人なら その場所に暮らすのは苦しいと思います。 私の場合は一つの宿に長期で滞在するわけですから、 汚い場合は部屋の掃除などを自分でしたりするわけです。 すると掃除に疲れて、一日何もできないという 日も生まれるわけです。 自分の掃除の労働時間を考えると 実はもっと高くて清潔な宿に泊まったほうが 実質的には安かったということが多々あったように感じます。 【 今年は虫との格闘だった 】 今年は私にとって【 MUSHI !! KING OF THE YEAR 】でした。 訳のわからないことをいっていますが 虫刺されに苦しんだ一年でした。 前回の旅では虫にやられたことは全くなく 私はダニやノミなどにははっきりいって全くの無関心でした。 しかし、旅の初日のエクアドルのキトのホテルスークレから 虫刺されにやられ非常に苦しみました。 赤い発疹が毎晩増えてとにかく体が痒くてたまらないのです。 私はスークレのことが好きですから その環境を直そうと、布団を干したり 殺虫剤をまいたりして 部屋の状況を変えようと がんばったのですが、 私は2週間程度虫にとっておいしいごちそうに なり続けました。 虫は私にとってまさかの存在でした。 というのも、 それまで虫に大量に刺されるということはなかったからです。 私の体質は1年半に及ぶ実家での生活で 虫を呼ぶ体質に変わったのかもしれません。 かゆみなどは時とともに収まるから いいですが、虫のことを気にするあまり その時期に安眠できなくなったり、 精神的にも肉体的にも苦しいことから 仕事も進まなくなる。 刺された場所の中には肌に黒い染みとなって残る(年のせいかもしれません=笑) という様々な問題が起こります。 虫にはコロンビアのカリの滞在でも雨季にまた少々やられ ここぺルーのイキトスのジャングルでは 蚊にやられ、民家ではダニにやられ 安ホテルのレイディーでもダニにやられ やられ三昧で両手、両足が赤く腫れデコボコになってしまいました。 母親が見たら涙流すでしょうね。 虫によってお婿にいけない体にされていしまいました(笑) 《 虫にやられた全ての原因は何か? 》 これはなんといっても宿泊費をケチったことです(笑) 原因は一目瞭然です。 宿泊費をもっと出していたら 私の体は綺麗な白豚(笑)的体を維持していたことでしょう。 また、清潔な宿で仕事も進み、もっと楽しい滞在を 送っていたことでしょう。 《 生活環境、そして住居の大切さ 》 現在虫にやられた反動から3日前から一泊500円の宿から 一泊2000円の宿に移りました。 ここでは、ホットシャワーも出るし 浴槽のようなところにお湯を溜めてお風呂にもできます。 またケーブルテレビがついていてNHKワールドで 日本のニュースも見ることができます。 またCNNなども見れるので、いちいち遅いインターネットカフェに行かなくても ニューヨーク株式市場の株価や、日経平均株価なども確認することができます。 コーヒーや食事などのルームサービスもあるため 現在はミルク入りのコーヒーを飲みながら メルマガを書いています。 またペルーのイキトスはアマゾン河の河口にありますから 気温が日中が38度くらいまで上がります。 そして、午後には急に雨。 まだ真夏の気候に慣れていない私にとって この自然環境は苦しいものでした。 しかし、現在は部屋にクーラーがついており 熱くて何もできないという状態からやっと抜け出しました(笑) 時にすでに遅しといったかんじですけどね(笑) 私が現在実感していることは やはり生活環境のよいところでは 仕事が進みやすいということでしょうか。 当たり前といえば当たり前なのですが 生活環境が変わるなんてことは日本では 多くて一年に一度くらいでしょうから なかなか実感することがないでしょう。 私のような町を転々とする旅行者は 環境の変化が頻繁に起こるので そのことを実感しやすいです。 《 宿泊費をケチってはいけない 》 この話のまとめとしては、やはり宿泊費をケチっては よい仕事はできないということでしょうか。 もちろん食費も同じです。 粗末な食事を食べるのと、豪華なものを食べるのでは エネルギーのでかたが全然違います。 このように、理屈では滞在費用をケチケチしていはいけないと いうのは良くわかるのですが、 他人のお金でなく、 自分のお金なので 理屈ではわかっても、実際行動となると 理屈で考えてよいと思った方向にはいきません(笑) 節約するのも大切なことですが 年をとるにつれて、自分の耐えることのできる 環境の最低ランクは上がっていきます。 ですから、お金と生活レベルのバランスの見直しが 現在の私には求められているように感じます(笑) 最後は自分自身の主観的な話になってしまいましたが これで、今年のメルマガは発行収めです。 貴重な時間を拙いメールマガジンを読む時間に あててくださり、どうもありがとうございました。 来年もどうぞよろしくお願いいたします。 素敵な年末・年始をお過ごしください。 また次回にお会いしましょう。 さようなら。 ムーチャスエルテ メールマガジン 《 VAMOS 》          発行者:坂本英則 ===========★VAMOS 第58号★==========2003/12/31(水) 発行=========== ===========■メールマガジンへのご感想、ご質問をお聞かせ下さい■===== ==南米情報ムーチャスエルテのホームページにも気軽に遊びに来てください^0^== http://www.mucha-suerte.com/ ・・・・・・・・・・・・・・・発行者・坂本英則・・ ご意見・ご質問・ご要望などは
hidenori1600@hotmail.comまでお願いいたします。
このメルマガの目次へ トップページに戻る
前回へ メルマガの目次へ 次回へ

Copyright 2002-2003 www.mucha-suerte.com All rights reserved.