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| ペルー北部海岸の文化はなぜ太陽よりも、月を信仰する文化があったのか |
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紀元後850年から1470年までトルヒージョで栄えていたチムーは
太陽よりも月を信仰していたといいます。 また、このセチンの神殿でも月の月齢を表すといわれる 28あったであろうといわれる線が石に刻まれています。 それでは、なぜこのトルヒージョ近郊の文化では 太陽よりも月を信仰していたのでしょうか。 これは私の推測でしかありませんが、 雑感として書いてみたいと思います。 私はペルーのリマからチクラヨあたりの海岸地帯には ここ3年間で合計して半年いました。 ここの気候というのは、赤道に近いのでトロピカルな 気候だと思われるかたと多いかもしれませんが、実は 違います。 このペルーの北部海岸沿いは南から北に上がってくるフンボルト寒流の 影響で、12月、1月、2月、3月には35度程度まで温度が上昇する温かい日が 続きますが、 その他の月には、フンボルト寒流の影響でガルーアという雲のような ものが空を覆い、気温があがりにくくなります。 ガルーアの影響で太陽もはっきりと見られません。 ガルーアは午前中はずっと覆っており、午後2時すぎくらいには 薄くなるといったかんじです。 午後になると空が青さを取り戻していきます。 昼間の太陽はよく見えませんが、夜はガルーアはなくなり 空が済み、月は非常に綺麗に見えます。 なんとこの地域では、ガルーアの影響で太陽はよく見えないが 月は非常に綺麗に見えるのです。 これは私のこの地域で暮らした経験からいえることです。 私のこのような太陽と月の見え方の体験によると この地域は太陽はよく見えないが、月は非常に綺麗に見えるということで 自然に月を信仰するようになったのだと思います。 |
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