モアイの誘い ムーチャスエルテのジフ
ムーチャ・スエルテはスペイン語で『がんばって』という意味です!!

Sechin 1
2004.01.29

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SECHIN遺跡の正面
SECHIN遺跡は丘のふもとにあることから、CERRO DE SECHIN 《 セチンの丘 》と呼ばれています。時代は 紀元前2000年から紀元前1000年と言われおり、チャビン文化への 影響を与えます。
SECHINの戦士の顔
SECHINと同じ文化と言われるMOJEQUE神殿にあったといわれる 戦士の顔のレプリカです。これはMUSEO DE SECHIN《セチン博物館》の庭に あります。オリジナルは1970年の大地震で大破したそうです。

セチンの戦士の石彫り
左上のセチンの神殿の外側の石の壁にはこのように 石彫りがされています。
セチンの石彫り
セチン遺跡の丘の方向は北以外の東、南、西は石壁に囲まれており すべての石にこのように彫刻が施されています。

神殿の正面入り口
神殿の正面入り口の石の彫刻は真ん中が太くなっている棒のような 彫刻がされています。私が想像するにここは赤道に近いので 太陽が北に南に移動するのを表しているのではないかと思います。 これは勝手な憶測です(笑)
月の満ち欠けを計測していた
写真が小さくて見づらいですが、 左の細長い石に横線がいくつもついているのが確認できると思います。 これは数えると23、4くらいあり、上の部分は壊れていました。 これは壊れる前は28あり、月齢を測定していたのだと思います。

ペルー北部海岸の文化はなぜ太陽よりも、月を信仰する文化があったのか
紀元後850年から1470年までトルヒージョで栄えていたチムーは 太陽よりも月を信仰していたといいます。
また、このセチンの神殿でも月の月齢を表すといわれる 28あったであろうといわれる線が石に刻まれています。
それでは、なぜこのトルヒージョ近郊の文化では 太陽よりも月を信仰していたのでしょうか。
これは私の推測でしかありませんが、 雑感として書いてみたいと思います。
私はペルーのリマからチクラヨあたりの海岸地帯には ここ3年間で合計して半年いました。
ここの気候というのは、赤道に近いのでトロピカルな 気候だと思われるかたと多いかもしれませんが、実は 違います。 このペルーの北部海岸沿いは南から北に上がってくるフンボルト寒流の 影響で、12月、1月、2月、3月には35度程度まで温度が上昇する温かい日が 続きますが、 その他の月には、フンボルト寒流の影響でガルーアという雲のような ものが空を覆い、気温があがりにくくなります。 ガルーアの影響で太陽もはっきりと見られません。
ガルーアは午前中はずっと覆っており、午後2時すぎくらいには 薄くなるといったかんじです。 午後になると空が青さを取り戻していきます。 昼間の太陽はよく見えませんが、夜はガルーアはなくなり 空が済み、月は非常に綺麗に見えます。
なんとこの地域では、ガルーアの影響で太陽はよく見えないが 月は非常に綺麗に見えるのです。
これは私のこの地域で暮らした経験からいえることです。 私のこのような太陽と月の見え方の体験によると この地域は太陽はよく見えないが、月は非常に綺麗に見えるということで 自然に月を信仰するようになったのだと思います。 ガルーアの力に負けてしまう太陽と、ガルーアさえも 吹き飛ばす月。月のほうが力を持っているのではないかと この地域に住む人々は思ったのでしょう。

丘の上からセチンの神殿を見ています
この遺跡の中には魚などの色つきの彫刻があるそうなのですが、 保存のために、埋められてしまっているようです。 セチンの神殿は日干しレンガで主にできており、 石は一番大きなもので高さ2.5メートルといったかんじで、 チャビン文化と同じく、石の隙間は砂利や土などで埋められいます。
セチンの丘の上から
丘の上に登るとセチンの全体像がなんとなくわかります。 この近辺は雨がほとんど降らず、砂漠が広がっているのですが、 この地域には2本の川が流れており、この近くだけ緑が広がっていることが 確認できます。きっと緑が多く農作物が多く採れるのでここに遺跡が 作られたのでしょう。

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